天使も踏むを恐れるところ

というわけで、異例の早さで、新教皇はドイツ人のラッツィンガー氏に決まりました。
前回に引き続き超保守派です。
おかげでカトリック教徒はまたもやピルとコンドームを使うチャンスを逃しました。
女性聖職者の誕生も当分無理でしょう。
指導教官に言わせると「今時、独身かよ」状態が暫く続くことになりそうです。

まあ、この辺の面倒くさい話については、筑紫とか古館とかがより目になってふがふが御託を並べるでしょうからどうでも良いのですが、ひとつ留意しておきたいのは、キリスト教に限らず、現在の先進国社会の人々には、「あのね、神様は絶対にいるの。で、君たちはそれを信じるの。天国の扉のマスター・キーはうちらで管理させてもらいましょ」的な宗教は流行らないということです。

良いか悪いかは別として、流行っているのは、「面倒くさい教義とか儀礼とかはこっちで準備するから、あとは君らで、それを使って好きにやってね」という、ゆとり教育的な宗教というか、スピリチュアルな傾向です(宗教資源を用いたブリコラージュとかパッチワークとかア・ラ・カルトの宗教と呼ぶ人もいます)。

江原とかいうスピリチュアル・カウンセラーなどというちょっと気の利いた幼稚園児なら砂場で苦笑してしまいそうな肩書きで上手に商売しているような人を思い浮かべていただければ良いでしょう。

さて、新教皇はこういう連中を相手に、どこまでカトリックの影響力を広げられるのでしょうか。こいつらに「コンドーム使うなって言ってんだろ」とか、「バックでやるな」とか、「たまには告解しろよ」とか、「ハリー・ポッターは魔女物語だから見んなよ。ダヴィンチ・コードも読むなよ。じゃあ指輪物語はいいですかって、駄目に決まってんだろ!」とか言っても、全く通じません。

ウィンナーじいさんの戯言は無視して、自分の内なる声に耳をすませて、パウロ・コエーリョ読んで、地球交響曲見て、禅やって、ビョーク聴きながらセックスするのに忙しくて、「早く老衰して天国いけよ」と言われるのが関の山でしょう。

彼らにとっては、日曜ミサよりも、スタートレックビョークUAデヴィッド・リンチやクサマトリックスの方が余程宗教的に感じられてしまうのです。

ここまで考えてくると、聖飢魔Ⅱはどうなんだろうという気がしてきますが、あれは早稲田出身の相撲好きのコミック・バンドなのでどうでもいいでしょう。
オジー・オズボーンズも40年バンドやっててできる楽器がタンバリンだけなので、やはりコメディアンということでどうでもいいでしょう。

なんにしろ天草四郎な人々は前途多難です。
大塚愛かチャン・ツィーを新教皇にした方がうけた気がします。
別にうけを狙ってないことは知ってますが・・