へっどふぉーん

君が代・日の丸法案に関する裁判でとりあえずの結論が出たようです。

こういうお話に関しては、色々な人が色々なことを言っているので新たに付け加えることもないと思うのですが、非常に個人的な感想を少しだけ(おそらく多くの人がこうやって書き出しているのでしょうが・・・)。

強制法案が馬鹿馬鹿しいものであることを前提として、結論としては、「まあ、とりあえずは起立して、口パクしておけば良いんじゃないの・・・」と思います。
決して、「起立して斉唱せよ」とは言いません・・・「とりあえず」です。

おそらくこういう運動にたずさわる人って、色々な思惑があってやっているのだと思います。
でも、もしも自分が公立の学校の教師だったら「とりあえず」起立します。

反対派の人々のHPを見ると、先日の起立・斉唱の義務なしという判決を受けて、「人間としての尊厳を取り戻せた」なんてことが本当に書いてあります、冗句じゃありません。
もちろん、色々な事情から君が代を斉唱することで不当な精神的苦痛をこうむる人々がいることは否定しません。
でも、運動に参加している人々の多くは、そんなことはないんじゃないでしょうか。

たとえば反対派HPにある養護学校の教諭の文章があります。
彼女の学校では、多くの教員が反対していたにもかかわらず、起立・斉唱しないことで減給等の処分を受けることが分かると、「家のローンがあるから・・・」「退職金が・・・」とかの理由で誰も起立斉唱しなくなり、100以上いる教師のうち、卒業式で着席していたのは彼女だけだったそうです。
彼女はこれを「激震」と感じ、「林の中にいるような感じがした」と述べています。

ここから話を一般化するつもりはありませんが、この反対運動に関わる多くの人にとっては、「家のローン」の方が、「起立斉唱することで傷つけられる人間としての尊厳」よりも優先されるわけです。
そして、こういう人々は、普通の感覚を持っているのじゃないかと思います。

第一に、入学式・卒業式は教員のためにあるんじゃなくて、学生のためにあるわけだから、たとえそんなものがあったとしても、自分の思想・信条はとりあえずおいといて、その場を嫌な感じにしないように起立斉唱(いやならば口パク)すれば十分です。

だいたい教員が強制は良くないとか言い出したら、教育なんか機能しなくなるのではないでしょうか。

端的な例として、授業の前後に起立・礼をやったりするわけですが、あれだって、「別に学費払ってるんだし、それ自体に格段の教育効果があるわけじゃないし、嫌な教員だっているわけだし、絶対やらない」とか学生が言い出したらどうするんでしょうか。
しかもそんなことを議論するために授業時間が削られたりしたら、それこそシンドい学校でもない限り、他の学生の迷惑になるだけです。
とりあえず、起立・礼しとけばいいじゃん、とならないでしょうか。

第二に、反対派は御託のように「日の丸・君が代が軍国主義の象徴である」ということを必ず言い出します。
でも、どういうふうに日の丸と君が代が軍国主義の象徴であるのかを、自分の言葉で説得的に説明してくれる人はほとんどいません。
自虐史観だなんだと、おっかない話をしているのではありません。

「象徴」の含意の正確な理解に関して、現存する人類の中でもっとも有望だと思われるウンベルト・エーコでさえも、「実は私は「象徴」の意味するところが良く分かっていない」ということを著書の中で告白していたし、「日の丸・君が代が軍国主義の象徴である」ということの正確な意味を反対派で分かっている人はいないのではないかと疑っているのです。
別に屁理屈で言っているのではありません。
「象徴」なんてとても難しい言葉を使っても、誰も説得できないのではないかと言っているのです。

第三に、反対派にはユーモアが絶望的に欠けていることです。
なんで小田嶋隆氏が言うような、「めちゃくちゃ音程をはずして、でかい声で歌う」みたいな案が思い浮かばないのでしょうか。
音痴の矯正が法案化されるわけないし、上記のような運動自体が目的化したような珍妙な運動によって右の人々の硬化を招くわけではないし、なによりも笑いがとれるし、絶妙の案だと思います。

フランスにおける似たような問題といえば、やはりスカーフ事件でしょうか。
もちろん、この場合だって、スカーフ着用が禁止されることで、ムスリムとしての尊厳が踏みにじられる人は確実にいます。

少なくとも「日の丸・君が代が軍国主義の象徴だ」という命題よりも遥かに理解しやすいケースです。
たとえクルアーンに明示されてなくとも、スカーフ着用が半ば強制である地域は多くあります。
それで真面目な研究者なんかは、移民ムスリムのスカーフ着用の三類型なんかを作っちゃったりして、真面目な私はそれを引用しちゃったりしています。

でも、現場に行くと、こういう生真面目な議論だけでは割り切れないで、冗句冗句みたいなのがあるそうです。
まず、大部分は話題になった途端にスカーフをつけ始めるわけです、もちろん非ムスリムの学生が。
で、国の通達で、キリスト教の十字架、ユダヤ教のキッパも含めてそれっぽい装身具がすべて禁止され、兎に角もう、だれも頭には何も載せてくるな!、ということになります。
そうすると、どうなるか。

ヘッドフォーンをつけてくるわけです。
たしかにヘッドフォーンは「あからさまな宗教の顕示」にはなりません。
でも先生は、全員にヘッドフォーンをはずさせます。
わけの分からない人形を載せているやつにも取らせます。
もちろん、冗句なんだから生徒もとります。

くだらない裁判に貴重な人的・金銭的資源が投入されていることを思うと、こういう方が楽しそうなんですけど、どうでしょうか。
君が代批判するなら、よっぽど忌野清志郎の「パンク君が代」を再販するほうが気が利いていると思うのですが・・・