意外と根は深い・・・
というわけで、なんだか風邪気味なので、倒れて読書といっても、フランス語はつらいので、学術書の邦訳を読んでいたところ、異次元世界につれていかれました。
メキシコのグアダルーペのマリア出現に関する箇所です。
そもそも、グアダルーペ自体が、「グアドループ」となっていて、なんとなく嫌な感じだったのですが。。。
「新世界」におけるマリア出現の歴史も、同じタイプの物語から始まる。
1531年12月9日のある朝のこと、マリアは1524年にジュアン・ディエゴの名の下に洗礼を受けたあるインド人の農民の前に出現する。
〔…中略…〕
司教にこのお告げを信じさせるためには、何か天からのしるしが必要らしいのだ。
だが、奇蹟はまもなく起こる。
あたり一面の薔薇が一斉に開花し、そのインドの男のマントにはマリアの像が現れたのだ。
いかがでしょうか。。
熱のせいか、一読したときは「軽い違和感」程度しか覚えず、そのまま夢現へと転落していきました
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が、しばらくして、「軽い戦慄のようなもの」を伴って覚醒しました。
なんでメキシコにインド人がいるんでせうか!!?
なんでグアダルーペでインド人がマントつけて歩いているんだらうか!!?
原語が「un indien」なんだと深い戦慄を持って悟りました。
PCだかなんだかで、インディアンとか言うな、ジプシーとか言うな、エスキモーとか言うな、みたいな主張をする人って、とりわけ日本に多いのでしょうか。
フランス語だと2000年代の論文なんかでも「Gitan」と書いてあるし、だいたい官製煙草は「Gitane」だし。
この辺って、本当に差別的意図の表出として、倫理的に抑圧されるべきなのでしょうか。。
「太陽にほえろ!」の原刑事なんかは、どうするんでしょうかね。。どうでも良いけど心配になります、三田村氏。。
まあ、こうしたPCだかなんだかで、「インディアンって言ったらインド人だ」みたいなことを翻訳者に刷り込んだ結果、
「マントつけたインド人がメキシコで改宗してマリアを見る」というアポリネールの『異端教祖株式会社』なみにぶっとんだシュルレアリスムな情景が訳されてくるわけだから面白いのですが。。
というわけで、眠ります。。。