右往左往

というわけで、2月末からバタバタと西へ東へ移動しておりました。

まずは名古屋で兄者たちの書評会のザ・末席に座らせて頂いて、大変面白いやり取りを拝見してきました。

いい加減、巡礼wwとかやってないで、まともな研究をしないとまずいですね。

スカーフ研究でもしようかと強く思った次第です。

夜は夜で兄貴たちと同じ施設に泊めて頂いて、遅くまで楽しいお話を聞かせて頂きました。


で、翌朝8時台に出て渋谷の研究会へ向かいますた。

こちらは仮に遅刻したり、研究会中寝てたりしていたら「赤紙破門じゃい」とまじで親分に釘を刺されていたし、このタイミングで破門されたらだいぶ面白い武勇伝になってしまうので、決死の覚悟で起床し、コーヒーをがぶがぶ飲んで出かけますた。

それにしても、名古屋といい大阪といい、地方の地下鉄ってなんであんなに混んでいるのでせうか。

で、研究会では必死で元気なふりをして、色々な方とお話をして、やっぱり兄貴たちと3次会くらいまで行ったような気がします。

たしか翌日が東京マラソンで、大雨かなんか降っていて、「ざまーみろ、アテナイ軍!!」と皆で叫びながら帰った記憶がございます。


で、1日おいて、本郷でAWZ兄貴の宴会に混ぜて頂きました。

ここでは初めてDI師とお話させて頂きました。

「日本におけるフランスの研究で面白いネタあるんだけど〜」とおっしゃられたので、身を乗り出してお伺いしてきました。

それによれば、原子力発電の技術はフランス共和国が世界一ぃぃぃぃぃぃぃなわけで、そのせいで、日本の原発の近くには実は多くのフランス人技術者が住んでいるそうで、そうした方々を調べてみてはどうか、ということでした。

ただ、懸念としては場合によっては被爆する可能性が拭いきれないことと、たぶん宗教とはあまり関係ないことだそうです。


で、翌日から、今度は調査のために車で静岡へ。

ある宗教コミュニティに居候させてもらったのですが、ここでは奇蹟の6時起床で数日を心静かに過ごさせて頂きました。

誤算は、手伝ってくれたamd氏だけがなぜか駆り出され、訳も分からないまま恐ろしく寒い山の奥深くへと連れて行かれ、そこにある廃屋で正体不明の粉塵が舞い散る中で、多くの人は一生目にすることのない状態の固形物についた水滴を爆音の東京タムレを聴きながらひたすら拭い続けるというカフカの悪夢のような労働に午前中いっぱい携わったせいか、まさかの9度5分の熱を出したことでせうか。

さらに、熱を出したamd氏を指をさしてゲラゲラ笑っていたら、翌日あたりから私も異様な寒気に襲われるようになりました。

そんなわけで、結論としては「静岡はでかい」といったところでしょうか。

調査でいったのは、静岡市なので真ん中ぐらいだと思うのですが、浜松とかだったらもう遠いですね。

新幹線ですら、ほとんど静岡走っていますよね。

そんなわけで、あとは大学2往復、お茶の水、神奈川をうろつけばようやく一息つけそうだと思っていたら、今度は「you、エルサレムに行っちゃえよ、アゴアシ付だよ」というお誘いがあって、ほんの一刹那だけ躊躇したのですが、たぶん浜松よりも遠そうだし、ゴルゴダの丘に立って「岩しかねーじゃねーか、このやろう」とか言っている自分の姿があまりに容易に想像できたので、誠に遺憾ながら今回は見合わせようかと思っております。