○んこがない・・・・

というわけで、ないんです、はんこが、いや、ありすぎるのかもしれません。

前からこんな小さいものは管理できないと思ってはいましたが、本当に無理です。

存在感として、煙草一本と良い勝負じゃないですか。

そこまで豪快な性格なわけではないですし、パスポートとか財布とかをなくしたり置き忘れたことは一度もありません。

どうやら、私の中では、どうしてもはんこが大事なものリストに入らないようです。

まあ、九州男児の後輩には、他の人は全員がシャチハタを使っているTAの出勤簿に、まさかの象牙の実印を押している侍もいますが、私もそこまでは隼人ではありません。

先週のこと、私がまさに傀儡の代表になっている研究会の口座から年に一回お金を引き出すイベントがやってきました。

で、大変几帳面で優秀な後輩に、「というわけで、はんこもって郵便局いってください。お金落とさないで下さいね」と言われ、パシって参りました。

しかし、あるわけないんです、はんこ。

言い訳すると、留学とかして荷物ぐっちゃぐちゃですし、家2つあるし、銀行にしたって、冗談でなく届け出印なんかもなくしてしまうので、はんこが必要な時は、毎回身分証明書を携帯して、その度に届け出印を変更しているくらいです。

で、その度にはんこ買っているので、逆に言えば、そこら中にはんこが散らばっていて、どれがどれだか分からないんです。

で、ある時、案の定、フランスの口座に送金する関係で窓口で手続きする必要があって、それで、候補と思われるものを4本くらい持って行って、順番に試していた時にふと、「ひょっとして、はんこって俺より偉いの?」と思ったのですが、どうやらそうみたいですね。

本人が免許証と身分証もって来ているのに、はんこがないと何もできないと。

間違いなく、やつは私本人よりも信用されています。

で、郵便局でも案の定、「ったく院生ははんこ一つも管理できねーのかよ?」という大変残念な視線を浴びせられながら、恐ろしく面倒くさい手続きをしてきました。

どうやらはんこを失くす馬鹿というのは想定外のようで、電話でどこかに問い合わせたりしています。

しかも、すいているだろう時間を狙って行ったのに、なんかやたら混んでるし。

別の窓口では、留学生と局員が問答しているし。

で、最終的には別のはんこをあらためて登録して、それを使ってお金を引き出すという手順になったわけですが、途中からは、その新はんこを取り上げられて、向こうで次々と面倒そうな書類に押してくれました。

ただただ、恐縮して平謝りになりながらそれを見ていて、なんとかお金を引き出せたのですが、それにしても、なんだかな〜というところでしょうか。

登録してある住所・氏名が一致している免許証に学生証に保険証に実際あまり役に立たないという噂のJAFのカードまで持っているのに、なぜ、アイデンティファイしてくれないでしょうか。

面白いのは、その後数時間して郵便局から電話がかかって来て、「新しいはんこを登録するにあたって、一か所押すのを忘れていた。もう5時すぎてるから、明日以降、来い」とのことでした。

しかし、その時私はすでに東京にいて、しばらく戻る予定もなかったので、ダメ元で「はんこを預けてある別の人でもいいのか?」とお伺いしたところ、「まったく問題ない」ということでした。

で、先述の大変几帳面で優秀な後輩が代わりに行ってくれて問題は解決したのですが、絶対に私よりもはんこが偉いですよね。

私がいなくてもはんこがあれば良いって、なんだか傷つくぜ・・・・はんこが目当てだったなんて。

で、この忌々しい文化の起源は、案の定、明治時代のようです。

1873年の太政官布告で「証書の類に爪印・花押などを用いる事を禁じ、実印のない証書は法律上、証拠にならない」と定められて、あらかじめ庄屋などに印鑑を届け出なければならなくなったそうです。

20世紀の院生ならば、「以上みてきたように、印鑑とは各個人の主体性を前提に作られるものであり、その意味で、近代的個人の確立を必要とする国民国家の形成に寄与したと考えられるわけである」みたいな論文すらかけるのだと思います(というか、どっかにあるんだろうな)。

逆に言えば、私のような反近代の中世人には、まあ、向かないわけですね。。。。

でも、お金引き出すたびにこんなの書いたら、間違いなくかっこ良いですよね。

この中ので言うと、三好政康のが可愛いですね。

竹中反米のは、なんか面倒くさそうです。

加藤清正のは、どことなく底辺校の匂いがしますね。

こっちにある徳川光圀のものも、死んだクリオネみたいで素敵ですね。