フェダイーン

いまこの瞬間に、どこかの暗くて蒸し暑い部屋で血を流しながら冷静に状況を把握している姿を想像すると、これまで拘束された日本人に対しては持たなかった感情がわいてきます。
イラクで拘束された斉藤氏のことです。
さんざん報道されているように、彼はフランス外人部隊のパラシュート部隊に20年も所属していた、非常に多くの戦場で戦ってきたスーパーエリートです。
フランス語にもアラビア語にも堪能で、マスター・キートンやパイナップル・アーミーをそのまま現実化したような経歴と知性的な顔です。

彼が悲惨なのは、これまでの無邪気な日本人と違って、言葉も分かるし、自分が受けた傷がどの程度のものであるかも知っているし、3日後に自分が生きている可能性も簡単にはじき出せてしまうことです。

しかも警備会社に雇われて働いていたので、たとえ殺されたとしても完全に「給料のうち」ということになってしまいます。
こういう状況を自己責任というのではないでしょうか。
戦後の日本人で、彼ほど真摯に自己責任の瀬戸際に立った人はいなかったのではないでしょうか。

彼の経歴は完全に戦後日本人の想像力を超えています。
マルセイユのアパートに住みながら、ロンドンの警備会社に雇われて、バグダッドで戦う人について語る言葉や枠組を、日本人は持っていません。
愚鈍で虚ろな眼をして、いかなる権利でそのようなことを言っているのか分からない、あつかましい田舎の反戦少年反戦少女とは全く異なります。

イラク開戦直後、日本でも誰に対して行われているのか分からない反戦活動がおきました。
どうしようもない英語を書きなぐった汚い布を持って田舎の町を歩くことがなぜ反戦なのかわかりません。

彼らは自分の言説は無条件で受け入れられるという、非常に甘えた無責任で幼稚な幻想を持っている点で、恐るべき迷惑な存在です。
果たして今現在、これらの間抜けな反戦運動に加担していた人々のどれくらいが、説得的かつ倫理的な仕方で活動を継続しているのでしょうか。

99%の人は、過去の「充実した思い出」としてたまに思い出すくらいで、すっかり日常に戻って生活していることでしょう。
反体制を唱えていた全共闘の闘士が、今じゃ少ない給料で中間管理職をやっているのと同じ状況です。
彼らの犯罪性は、自らの欲望のために他人の戦争をだしに使い、それに自覚的でなかった点です。

斉藤氏は以上のような無責任で自己中心的な人々の対極で戦争をひきうけてきた人です。
彼は自分が戦争をだしにお金を稼ぎ、私怨のない人々との戦場を、主体的かつ自覚的に責任を持って戦ってきました。

これまで拘束されて殺された日本人が暴走族だとすると、斉藤氏はF1レーサーのようなものです。
どちらも本質的には危険だし、第三者から見れば馬鹿げた行為です。
しかし、他の人がどうであれ、私は田舎の畑の横の国道でパトカーと追いかけっこして死んだ暴走族と、イモラで死んだアイルトン・セナに同じ感情を抱くことはできません。
二人乗りでジグザグ走行している人と、250キロで壁際3センチまで寄せて走る人を、私は同じ次元で語りたくありません。

まとめて捕まった迷惑な三人組は、開き直って事故自慢している田舎の暴走族にしか見えません。
族仲間である香田氏が殺された時にはがたがたと偉そうなことを、しかし同情的なことを言っていましたが、今回は彼らは声明を出さないか、出しても決して同情的なものではないはずです。
暴走族はF1レーサーに嫉妬しているし、なにより才能の無い人がある人のことを評価できないのは当然です。
長島茂雄の子供が野茂やイチローについてコメントしているのを見ると、腹が立つよりも、こっちが恥ずかしくなるのと同じことです。

才能と知性と行動力があるからこそ、セナにも斉藤氏にも本当に同情します。
たぶん「傭兵だから死んでもしょうがなかった」というような意見がでると思いますが、そんなことは、斉藤氏は日本人の中で一番良く知っています。
斉藤氏が金のために戦っていたからこそ、どうにかして生き残って欲しいと思います。