Advocatus Diaboli

TAとして学部の授業に出席しているのですが、毎回毎回、興味深い話を、1時間1280円というのは、60分のことなのか1限のことなのか真剣に悩みながら聞かせていただいています。

宗教学・人類学を昔からやってきた人には常識なのでしょうが、なんちゃってフランス哲学からなんちゃって宗教社会学に紛れ込んだ私にとっては、トリックにでも出てきそうな農村共同体のエピソードを次から次へと話しているいつもと違う指導教官が段々たま出版の韮澤氏に見えてきます。

で、今日は「聖俗反転」という話をしていました。
要は、「もっとも穢れたもの」が「聖なるもの」へと反転するという話です。
例えば、今はどうか知りませんが、四国の漁村では土左衛門、つまり水死体のことを「恵比寿さん」と呼んで、福神として崇めるそうです。

このエピソードだけを聞いたら、いつものくせで、罪の無い見知らぬ四国人を死体偏愛の野蛮人扱いしてしまいそうですが、最初に聖俗反転という原理を聞いていたので、素直に感心してしまいました。

金光教の教祖も、当初は、最凶最悪の崇神に憑かれてしまって悩むのですが、それを自己スティグマ化して、これこそ最強の福神だと開き直って、嵐を呼ぶ男の兄貴まで信者にしてしまう教団を作り上げたそうです。

そう考えるとコンスタンティンも当初は自分が救済されるために悪魔を片端から地獄に送り返していて、大天使に「そんなことしてても天国には行けない」みたいなことを言われて落ち込むのですが、やっぱり自殺というキリスト教では最悪の手段を通して救済に至ります。

こうなると去年まで毎週金曜日を地獄にしてくれていた田邊元の「挫折即突破」みたいな話も似たような構造のような気がしてきます。
恐ろしくてこんなこと主張するつもりはありませんが・・

さらに、躁鬱病も一度鬱に振られて、その振れが大きいほど反動も大きくなって、躁状態もひどくなるということです。
自己啓発セミナーなんかは意図的にこの逆を行っていて、セミナーでできるだけ極端な躁状態に振って、一人になった時の鬱状態を深刻なものにしておいて、そのセミナーに中毒にしていくという話も聴いたことがあります。

現在、学内の一部のスピリチュアリティ・ライオットの間で、「卒業してもどうせ就職ないし宗教でも開くか」という魅力的な話が、フロントに「Come on Jesus」とプリントしてあるシルビアで田端を爆走している名門キリスト者を中心に盛り上がっていますが、やっぱりこのテクニックは必要ですよね。

でもわざわざ四国にまで例を求めなくても、身近に、どっちか一方に振られて、そこからもう一方へ突き抜けてしまった方が沢山いるような気がしてきました。
たとえばEDさんとか(この略称がぴったり)・・

と、色々考えたのですが結論としては、60分1280円でも1限1280円でも、1限が75分なので大して関係ねーや、という結論にいたりました。
むしろ往復の高速代4000円の方が可及的速やかに解決すべき問題として浮上してきました。


TAとして学部の授業に出席しているのですが、毎回毎回、興味深い話を、1時間1280円というのは、60分のことなのか1限のことなのか真剣に悩みながら聞かせていただいています。

宗教学・人類学を昔からやってきた人には常識なのでしょうが、なんちゃってフランス哲学からなんちゃって宗教社会学に紛れ込んだ私にとっては、トリックにでも出てきそうな農村共同体のエピソードを次から次へと話しているいつもと違う指導教官が段々たま出版の韮澤氏に見えてきます。

で、今日は「聖俗反転」という話をしていました。
要は、「もっとも穢れたもの」が「聖なるもの」へと反転するという話です。
例えば、今はどうか知りませんが、四国の漁村では土左衛門、つまり水死体のことを「恵比寿さん」と呼んで、福神として崇めるそうです。

このエピソードだけを聞いたら、いつものくせで、罪の無い見知らぬ四国人を死体偏愛の野蛮人扱いしてしまいそうですが、最初に聖俗反転という原理を聞いていたので、素直に感心してしまいました。

金光教の教祖も、当初は、最凶最悪の崇神に憑かれてしまって悩むのですが、それを自己スティグマ化して、これこそ最強の福神だと開き直って、嵐を呼ぶ男の兄貴まで信者にしてしまう教団を作り上げたそうです。

そう考えるとコンスタンティンも当初は自分が救済されるために悪魔を片端から地獄に送り返していて、大天使に「そんなことしてても天国には行けない」みたいなことを言われて落ち込むのですが、やっぱり自殺というキリスト教では最悪の手段を通して救済に至ります。

こうなると去年まで毎週金曜日を地獄にしてくれていた田邊元の「挫折即突破」みたいな話も似たような構造のような気がしてきます。
恐ろしくてこんなこと主張するつもりはありませんが・・

さらに、躁鬱病も一度鬱に振られて、その振れが大きいほど反動も大きくなって、躁状態もひどくなるということです。
自己啓発セミナーなんかは意図的にこの逆を行っていて、セミナーでできるだけ極端な躁状態に振って、一人になった時の鬱状態を深刻なものにしておいて、そのセミナーに中毒にしていくという話も聴いたことがあります。

現在、学内の一部のスピリチュアリティ・ライオットの間で、「卒業してもどうせ就職ないし宗教でも開くか」という魅力的な話が、フロントに「Come on Jesus」とプリントしてあるシルビアで田端を爆走している名門キリスト者を中心に盛り上がっていますが、やっぱりこのテクニックは必要ですよね。

でもわざわざ四国にまで例を求めなくても、身近に、どっちか一方に振られて、そこからもう一方へ突き抜けてしまった方が沢山いるような気がしてきました。
たとえばEDさんとか(この略称がぴったり)・・

と、色々考えたのですが結論としては、60分1280円でも1限1280円でも、1限が75分なので大して関係ねーや、という結論にいたりました。
むしろ往復の高速代4000円の方が可及的速やかに解決すべき問題として浮上してきました。