記号の帝國、無為こそ過激

いつのまにか5月が終わって、ますます現実逃避が激しくなり、ついつい澁澤龍彦の読んだことのない本を見かけて買ってしまいました。

遊びに来た女の子に貞操帯を着けさせて侍らせてお酒を飲むのって楽しいよねみたいなことがなんの羞恥心も躊躇もなく書いてある本の中身はさておき、問題はそれを買った本屋さんです。

みなさんご存知のヴィレッジ・ヴァンガードです。
神奈川とか埼玉とか血薔薇奇剣(千葉と茨城の総称)などのサバービアを中心に、ジャスコなみの勢いで進出しているチェーンです。

間違って遅咲きの理論武装の必要性を感じた大学生やヤンキーが行きそうな、EDさんとかが好きそうなお店です。
図書券でZippoから内田百聞まで買えちゃいます。

私が行ったのは、御茶ノ水の田舎の青年実業家が夢想するような明治の馬鹿でかい「自由」という名が冠された建物の近くにある店舗です。

いついっても明治の学生か、これから明治の学生になるであろう駿台の学生や、これから駿台の学生になるであろう明治高校の学生や、明治は卒業したけどなんとなく明治の近くにきてしまう元明治の学生か、変な髪形のせいで明治の学生相手の楽器屋でしかバイトできないヘビメタ様たちなどで賑わっています。

本屋さんとは言いながらも、半分以上は誰が買うのか分からない服、CD、意味不明なグッズ、キッチン用品…などの文化的トマソンでいっぱいになっています。

このチェーンの枠組はかなり明確で、「普通の人にはなりたくないけど、本物のエキセントリックになる根性も才能もお金も無い人は、これらのややキッチュでチープなものを消費して、少ないお友達との差異化を図りなさい」というものです。

ボードリヤールの「消費社会論」をそのまま具現化したような場所です。
私も2年前まで勘違いしていたのですが、消費社会というのは、T型フォードのような同じ車が大量に大衆によって消費されることではありません。
これは「大量消費」であって「消費社会」ではないそうです。

消費社会というのは、フォードではなくGMが最初にやったことで、「機能」じゃなくて「デザイン」(とその差異)で車が売れる、という発想です。
毎年毎年、リッターあたりの走行距離などの車としての本質的な部分が変わらなくても、デザインを変えて新型が発表され、それが売れている状況を想像すれば良いでしょう。

ぶっちゃけて言えば、カバンとしての性能なんかはどうでもよくて、むしろそれが損なわれていてもVeryに載ってるKitamuraや、東芝ではなくてフェラーリが出した性能の悪そうなパソコン(あるんです)を買ってしまうことです。
大人も子供関係なくて、quick japanがVeryやLeonになって、場所がoazoになるくらいです。

このように「誰にでも買える大量生産の商品」を消費することで、(幻想としての)「代替不可能なかけがえの無い私」が形成されるというパラドクスが消費社会の面白いところで、限定1000個という、限定されてるんだかされていないんだか分からないキャッチ・コピーで商品が売れるのも、ここに理由の過半があります。

ヴィレッジ・ヴァンガードは、こういう消費社会でそこそこのアヴェレージを保ちたいが金銭的余裕のあまり無い学生やフリーターをカモにしていて小銭をまきあげていて、それが結構成功しているのではないでしょうか。

だから、それぞれのジャンルのいわゆる専門家の人々から見ると、許し難いルール違反と境界侵犯が行われているのですが(確かにユイスマンスを「自己啓発」の棚に置くのはどうかと思いますが・・・いったい誰をどこへ啓発してるのでしょうか)、ヴィレッジ・ヴァンガードリリー・フランキーとジョン・C・リリィを同時に手に取る少年少女たちには、彼らの怒りはとどきません。

彼らは、差異化の道具としてこれらの本を記号的に消費してるのであって、それらの内実には全く興味がないというか、ロジックは逆で、こういうものに興味を持つふりをすることで主体性を獲得したいだけだからです。

もともと死ぬほど暗い人でしたが、先月本当に死んでしまったリクールが、生前に精一杯明るくして書いた「Grand Narrativeの終焉」という恐ろしく暗いじめじめした議論もこういうことをねちねちと抽象化して論じてたような気がします(どうでもいいけどレヴィ=ストロースってまだ生きているのでしょうか?)。

この前、指導教官が、中世ヨーロッパ研究で有名な阿部“ハーメルン”謹也のエピソードを話していらっしゃいました。
阿部氏によると「これについて知ることができなかったら死んでも死にきれない」というような研究対象を見つけなければならないということらしいのですが、指導教官も「そんなこと言われても困るよなぁ。そんなのないよなぁ」みたいなことをおっしゃっていました。

私自身も、もしそんなものが見つかってしまったら、見なかったことにしてその場で死んでしまうか、リクールのような愛想の良い死体みたいな暗い暗い人間になってしまう気がします。
というわけで、これからも明るく楽しく欲望と羞恥の入り混じったダブル・バインドな感じで、わけの分からない本やらCDやらを手に取ることになるでせう。