ドルで泡盛買うなんてなんかポストモダンですよねー

というわけで、学会、学会、研究会ということで、要約すると3晩続けて宴会で肝臓に負担がかかったという週末でした。

去年よりはほんの少し、誰がどういう立場で何を言っているかがおぼろげながら分かるようになってきたせいか、ついつい先生方を前にして、「あの先生、HPつくって、アンケートとって、一生懸命パソコンたたいて、ステップワイズ法とか難しいこと言って、よくよく見たら30年も前にルックマンが議論してたことと全く同じような御託並べてますよね、可笑しいですよね、あの眼鏡似合ってないですよね、絶対あの人地方の県立高校出身ですよ・・」などと育ちの悪さを丸出しにするような軽口をたたいてしまったのですが、偶然が偶然を呼び、30分後には批判したご当人と隣の席で飲むことになってしまい、「いや、先生のご発表拝聴させて頂きました、勉強になりました、もうステップワイズ法なしの人生なんて考えられません、アプフェル・タイザーもっと注文しときますか、飲み物ラスト・オーダーですよ?」みたいなことを言って、まったく節操も信念もないところをお見せしてしまいました。
今となってはステップワイズ法がなんなのかすら思い出せませんが・・・

研究会では指導教官の発表を初めて聞かさせていただきました。
でも再度単細胞なところをみせてしまい、後の宴会では被爆地広島もディズニーランドも、記号としての聖地という観点からは全く同じ構築物ではないだろうか、と以前の宴会でぐだぐだ言っていたことを蒸し返してしまったのですが、隣に座っていらっしゃった先生が沖縄出身で、子供のころ山に遊びにいって松ぼっくりだと思って拾ったら手榴弾でびびったというようなお話をして下さって、またまた恐縮することになりました。

それにしても体験にもとづく物語を聞くと、とたんに論旨の切れ味が鈍る自分が間抜けに思えて仕方ありません。
「手榴弾で遊んでたなんて、北斗のケンみたいでかっこいいじゃないすか、ドルで泡盛買うなんてなんかポストモダンですよねー」とか言えたら一貫性があるのかもしれませんが、どう考えても手榴弾が落ちているのは「危険」だし、ドルで買い物するのは「占領」のような気がしてしまうのでした。

青学が入試で微妙な問題について、報道されていることのほとんどが共同通信の揚げ足取りとはいえ、微妙な設問を展開してしまってもめていますが、ああいう戦争「体験」者の話というのが、決して面白いものではないことは知っています。

「面白いから話してるんじゃねーよ」と怒られそうですが、こちらにはそういう話を無理矢理聞かされる筋合いも義務もないはずですし、人に何かを話す時には明晰に、かつ相手の問題関心に配慮して話すのが、話者の義務であるはずです。

東京という土地柄、東京大空襲をサヴァイブしたサイボーグじーちゃんみたいな人がやっぱりいて、小学校にその体験を話に来たことがありましたが、やっぱり青学の問題が言うように、クリシェにはまっていて、ちっとも面白くありませんでした。

当時、今よりは勇気も知性もあったので、他のヴォキャブラリと世界認識の乏しい同級生が「焼夷弾ってなんですか?」とか「お母さん死んで悲しくなかったですか?」とか「忍者が巻いているのとゲートルってどこが違うのですか?」とか「B29ってどのへんがBでどのへんが29なんですか?」とか、ことの本質を大きくはずした質問をしていたので、このままでは我が校の、ひいては同世代の子女たちの未来にまで持ち越される恥になつていまうのではないだらうかと考へ、ここは敢えてポレミカルな問を投げかけることで彼我の対立を明示させ、それをもつて逆対応的転換交流即ち否定媒介として戦争と平和のアウフヘーベンの契機とせなければならなひと思い(嘘ですが)、「あのー、戦争が嫌なのはわかりましたが、次の戦争にはどのようにして勝つおつもりなのか、そのへんのストラテジーをお聞かせ下さい」と青年将校みたいなことを全校集会で聞いてしまつたのでした。

「弁証法」という言葉は知っていましたが(嘘ですが)、「戦後民主主義教育」という言葉を知らなかった私は、自らの発話の後に訪れた地獄の底から浮上してきたような圧倒的な沈黙の意味が理解できず、後日両親が呼び出され、さらに間もなく訪れた夏休みになぜか担任の綺麗な新卒の先生が家に「ヒロシマピカドン」という絵本を持ってきて一緒に読んでくれて、さらには「蛍の墓」を有楽町まで見に行ってくれて、それらについてのノルマティブな感想文を一緒に書いてくれて、二人で校長先生のところに持っていったのですが、当時は「私は世界一幸福な小学生なのではないだろうか、ひょっとして先生は私に好意をよせているのではないだろうか」と考え言語化不可能かつ肉体化以前の圧倒的な情動に身を焦がされ悶絶していたのですが、今思えば、あの時争点となっていたのは「未成年の桃色遊戯の是非」あるいは「forbidden love」ではなくて、どちらかといえば「三島由紀夫をどう捉えるか」とか「再教育」とか「新しい歴史教科書を作る会の是非」とか「靖国問題」というようなことであったような気がします。

というわけで、あと2,3年したら同様に今回の学会等での発言を深い羞恥を持って振り返ることになるかもしれませんが、宴会が楽しかったので、良いのではないでしょうか。

でも中国みたいにブログまで検閲してるような国ではないので、とりあえずはこの先も生きてゆけそうです。
マイクロソフトも思想統制に協力していたのがバレて、今頃大騒ぎしているのではないでしょうか。
ま、そこらの宗教団体も真っ青の社員研修をやって、Chief Executive Officerが声裏返して「I love our team!!!!!!! Yeah!! I love you!!」とかやっている会社なので、どっちかというと好きで協力していたのかもしれません。