Trend on air

というわけで、昨日は噂のなんちゃらエクスプレスというのに乗って、登校してみました。
想像してましたが、童心と幼児退行を混同している鉄道にしか興味がない精薄弱なおっさんと、翌日から始まるくだらねー学校のことを思ってか恐ろしく憂鬱そうな小学生の軍団で、アホみたいに混んでいました。

全然揺れない新車両らしいですが、カメラ抱えた生命力の乏しそうなおっさんがぶつかってくるし、音も静からしいのですがおばさんと小学生が乗っている時点でまったく無意味でした。

しかも帰りに驚いたのは、つくばから守屋とか流山とかあの辺の間までをロフトの紙袋を抱えて乗っているおばさんたちの多さでした。
田舎の人の発想は怖いですね・・・
しかも埼玉から茨城にかけての駅名の恥ずかしさがたまりませんね、ほんと木っ端役人というのは碌なことを思いつきません。

でも、秋葉原まで45分でいける電車ができたら、どう考えても銀座か新宿にでも行けば良いのに、逆にわざわざ電車代はらって北へ行ってロフトなんていう眼も当てられないようなお店で買いものするんですね・・・正直びびりました。
東京に入るまでには車両からほとんどの人が消えました、いったいなんのために作ったんでしょうか・・・

基本的には片道2時間以上かけてチバラキから通う可哀想な月給取りのお父さんたちが、今までよりも、もっともっと東京で残業できるように作ったんじゃなかったんでは・・・
まあ、こういうお父さんたちの奥さんがロフトいってガラクタ買ってるんだから、ある意味正しいのかもしれません。

しかも、つくば駅では、すでにして若者が何も無い駅の回りにたむろするようになっていました。
ほんとチバラキの青春は厳しいですね。
いわゆる第四空間がないので、バス停いってたまってるんだから本当に悲惨です。

アメリカの下層階級も厳しいだろうけど(エミネムの幼少期みたいな世界でしょうか)、世界一豊かな国でジャージ着て一生過ごすような現実もなかなかシビアですね。
「ハマータウンの野郎ども」もびっくりな貧困さです、なんせ社会的な文脈がジャスコで買ったジャージしかありません。

そういえば今日は今日で、あまりに貧相な格好をしている集団が家の近くの国道沿いを歩いているので、北からの亡命者が滞在許可証を出すようにデモかなんかをやっているのかと思ったのですが、ニュースをみて知ったのですが、「帰宅困難者」の訓練らしいです。

上記のようなお父さんたちは、地震かなんかがあって電車が止まると彼らは帰れなくなるんで、道を覚えているようです。
変な地図まであって、水が補給できるところとかが書いてあるみたいです。
なんか水戸光圀伊能忠敬みたいな人たちですね。
このようなアウトドア上等な人たちが東京には700万人くらいいるらしいです、昼人口の半分以上です。

直下型でなかった関東大震災ですらあんなに被害でたのに(あれは相模湾沖が震源でした)、もし東京直撃リーチ一発大地震親っぱねみたいの来たら、時間にもよるでしょうが、500万人くらい死ぬんじゃないでしょうか。
はっきり言って私は生きてる自信、まったくありません。

なのに彼らは自分だけは生きているという恐ろしく都合の良い想定してるんでしょうね、ハリウッド映画の主役じゃないんだから。
しかもサバイブしただけでも奇跡なのに、そこから今度はドラゴンヘッドみたいになっている世界をとぼとぼ家まで100km歩いて帰ろうというのだから、相当な根性ですよね、なんか痛々しいです。
ぶっちゃけた話、都内に愛人でも囲った方が早いんじゃないでしょうか・・・

ニューオリンズみたいな田舎ですら、スーパーマーケットで、すでに略奪が始まっているそうです、しかもそこらにいる婆さんなんかがやっているんですよね。

でも、考えてみたら日本の80歳くらいの人だって、若い頃は七生報国とか八紘一宇とか鳥肌実の服に書いてあるようなこと言いながら、世界中と戦争した経験があるわけで、いざとなったら缶詰一個で人くらい殺すかもしれませんね。

ところで、以前東北出身の方と話していて驚愕したのですが、小学生のマストアイテムだった「防災頭巾」というのは、東京と神奈川くらいにしかないそうですね。

それで帰りは保護者が迎えに来なくちゃいけなくて、ジャージ着たお父さんみたいのが来ちゃったりしてる子は親がプーだってばれちゃったり、ずいぶん年とってるからてっきり祖母かなんかだと思って聞いたらお母さんだったりして、なかなかシビアな風景でしたね。

小学生の頃、毎年9月1日には、このくそ暑いのに日本全国の小学生たちがこんな馬鹿なことやってるんだろうかと想像していたのですが、どうもごく一部だけだったようです。

ま、地震なんか来たら生きてるかどうかなんて運ですよね。
京都の時の学友でNSCでお笑い芸人を目指していた神戸出身のT川君なんかは、腹痛でトイレに入っている間に震災が終わっていたそうです。
しかも隣のうちは壊滅してるのに、彼の家は棚からものが落ちただけだったということです。

というわけで、祈りましょう・・・・