髪人減

11月11日。くもり。寒い。

昼ごろ起きた。

来週、11月18日はミッキー・マウスの誕生日だと思うと、なんだか嬉しくなった。
舞浜の独裁者はどんな誕生会をするのだろうか。
論文書くのがダレてきたので、カンフル剤になるかと思って、奨学金を全部持って、御茶の水へ行った。

でも気づいたら日本橋にいた。
再び気づいたらバーバリーのコートの入ったとても大きな袋を持って、銀座線に乗って帰路についていた。

ついでに奨学金が一円もなくなっていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・というわけで、資本主義経済の末端に生きる哀愁を噛み締めながら、忌々しいアメリカのアイルランド系移民のネズミは今年で何歳になるのかと思いをはせています。

まったく関係ないのですが、フランスにはリュック・フェリーという、ものすごーくちゃらい感じの哲学者がいます、現在、50代前半くらいでしょうか。

彼には『神に代わる人間』(1996=1998,法政大学出版局)という著作があります。
早い話、おれたち、啓蒙主義以来、「神の人間化」をやってきたけど、最近じゃ、「人間の神化」の方がア・ラ・モードみたいね、ボンソワレ、という論旨です。
で、この「人間の神化」の過程の究極に立ち現れる主体が、邦題になっている「神に代わる人間」なのですが、これを原語に忠実に訳すと「神人間」なんですよね。
もう、しばらく腹を抱えて笑っていました。

神に代わる人間―人生の意味 (叢書・ウニベルシタス)

神に代わる人間―人生の意味 (叢書・ウニベルシタス)


で、さっそく使おうと思って、打ち込んで変換したら、「髪人減」って出てきちゃいました。
2秒間だけ、このままでいこうかと迷いましたが、まだ先が長いのでやめておきました。
なんかスイカ人間とかサヤインゲンみたいで、微笑ましいですね。

というわけで、たいして重要じゃないのに、神人間には大暴れしてもらうことにしました。
もう一個よく出てくるのが、師匠の師匠の概念である「神殺し」です。
なんかめちゃくちゃ「反宗教のかほり」がしますが、まあ、いいか。