Tokyo Nobody

以前にも触れましたが、Tokyo Nobodyという写真集があります。

新宿とかお台場とか上野とか銀座とか池袋などの繁華街の風景なのですが、人間が一切写っていません。
人払いをしたわけではなく、結果、早朝とか豪雪の日が多いのですが、東京の景色に詳しい人にはとても面白いと思います。

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集


ところで、その中に、厳密には街の風景ではないにもかかわらず、首都高を移したものが数多く写っています。
やっぱり綺麗ですよね、首都高・・・とか思うのですが、これってあまり一般的な感覚ではなかったのですね。

公共空間論なんかで出てくるマーシャル・バーマンという学者さんも郊外化・ジェントリフィケーションに伴う高速道路の拡充を批判してますし、裕次郎の兄貴も日本橋から首都高をとっぱらうとか騒いでますし、下北沢のお洒落さんたちも高速道路が嫌いなようです。

私は生まれてこの方、京都4年間パリ1年間を除いては、常に首都高に行くのとコンビニに行くのがほとんど等距離であるような環境にいます。
小学生までは、50mくらいしか離れていませんでしたし、今でも200mも離れていません。

ついでに、現在でも車で通学する時には、首都高を使います。
また、首都高から常磐道とかなんとかという田舎の下品な高速に接続するとき、毎回、非常に大きな喪失感を覚えることから、私が好きなのは首都高であって、高速道路なんかじゃないことは明らかです。

正直、首都高なしの生活というのは、ほとんど考えられません。
お台場のおのぼりさん相手の間抜けな観覧車に1500円はらってのるくらいなら(もちろんのりました)、700円で首都高無限ループですね。

ちょっと都心から離れると違いますが、ビルとビルの間を縫うように伸びる道路が好きですし、ありえないくらい分かりにくい標識、官能的なまでに危険なカーブ、間違えないほうが不思議なくらいの降りた直後の右左折斜線の出現、渋滞すればたった8km進むのに3時間、さらにこれらの悪条件にも関わらず放射性物質満載のトラックがこっそり疾走等々・・・・トマス・ピンチョンあたりが書きそうな、まるで自分が道路であることに違和感を持っていて、走られることを拒否しているかのような敵意にあふれた造形が、皮肉ではなく大好きです。

特に、夜中に隅田川沿とか東京港沿とかを走るととても楽しいですし、どっか高いところからその時間の首都高を見るのも好きです。
千鳥ヶ淵なんか、トンネルの中にもぐっていくのが、まるでお堀の中に突っ込んでいくようで最高ですね・・・・・本当に突っ込んで、「お堀の生態系が崩れた」みたいなニュースになってる人がいましたが。

というわけで、首都高愛好会でも作りたいですね。
ちなみに私が一番すきなのは、西神田ランプ付近です。

はったりでもなんでもなく、首都高に比べたら、パリの環状線なんかちっとも面白くありませんでした(日本人ゆえに、左右が逆で興奮したというのはありますが・・・)。
農道が都市の周りを一周しているだけの話で、あんなものはブドウ農家のおっさんにでもくれてやれば良いですね。