GotoGoto

worldo2006-08-28

というわけで、すでに記憶の彼方に消えつつありますが、8月上旬には五島列島上五島に行ってまいりました。

名目上は親分のやっている共同研究の助手ということで、出張報告書には「〜教会の役職者の方に、世界遺産運動及び観光戦略に関する意見をお伺いした・・・」とかなんとか書いてありますが、実態は運転手です。
小学生以来の九州だったので、たいへん楽しいものでした。

1日目:長崎空港ハウステンボス〜佐世保

というわけで、一日目は島に渡ることができないので、親分と二人で佐世保で宴会です。
アメちゃんの水兵さんと帝国軍人の水兵さんがうろうろしている街の中の、大変特権的なお店で、特権的な料理を食べさせていただきました。

それにしても、軍人さんが多いですね。
「これじゃ村上ドラゴンもぐれますね〜」みたいな話をしながら、クロかなんかの活作りを食べて、九州の焼酎を飲んで、あまりに酔っ払ってきたので、森伊蔵をモリゾウと読んでいて、なんか万博みてーだなーとか思った記憶がありますが、それ以外にも確かフェイタルなお話をたくさん聴いたような気もするのですが、なにも覚えておりません。

それにしてもハウステンボスって、箱物行政の権化みたいなもので、とりあえずデカイのつくっときゃみんな来るでしょみたいな感じで、佐世保市街からタクシーで4000円もかかるような距離にあります・・・・つぶれて当然かも知れません。

2日目:佐世保港〜有川(上五島)〜頭ヶ島教会

で、翌日は九州の叔父貴と合流して、早朝から、高速艇とは名ばかりの「素早い漁船」で上五島へ。

いらないとは思ったのですが、叔父貴から頂いた酔止めを飲みました。
そしたら、亡国のイージス艦を見たあたりから急速に眠くなってきて、気づいたら、なんか獄門島のようなものが前方に見えていました。

で、気が狂うような暑さの中、さっそくレンタカーを借りて、教会めぐり開始です。

ちなみに、有川港からは叔父貴の社会人学生の女性の方で、50代後半くらいですが、数え切れないくらいの会社をお持ちで、クレージュのテニス・ウェアなんか着ちゃったりして、ア○キミ○コさんという感慨深いお名前の淑女が御同行されました。

いろいろなお話を伺いましたが、とにかく高齢化と過疎化が進行していて、教会が維持できなくて、そういう中で、世界遺産運動とか、それに対する反対運動なんかの大人の事情が絡み合って、かなりややこしい状況にあるようです。

とはいえ、鉄川与助という明治期の偉大な建築家がほとんどに関わっている教会は、どれも文句なしに素晴らしいものでした。

それにしても、なぜかはわかりませんが、聖体があることを示す赤いランプがついていると興奮するのは私だけでしょうか・・・・

3日目:キリシタン洞窟〜桐教会〜蛤浜海岸〜大曽教会

2日目の夜の宴会から、MIの叔父貴と、その学生さんで佐世保出身の女の子のMOさんが合流しました。
MIの叔父貴が、キリシタン洞窟という、かつてカクレキリシタンが迫害を逃れて潜んでいた無人島に行くためのチャーター船をお調べになってきたので、宴会を抜けだして交渉したところ、当初の3万円が8000円にまで落ちました・・・・う〜ん。

というわけで、さっそく朝から島の南部へ向かって、岸壁から飛び降りるような感じで舟にのって洞窟に向かいました・・・・楽しいですね、船。

MOさんとタイタニックごっこをしたり、親分と「いやー、裕次郎ですね、葉山ですね、シーサイドハウスでツイスト・パーティーですね」、「何言ってるんだ、日本海海戦だろ、東郷だろ」というような根本的な世界観の齟齬を露呈しあいながら、30分も乗ると到着しました。

っていうか、これ上陸できんの?みたいな場所に確かに十字架が立っていて、やたら危ない岩をよじ登って、洞窟に着きました。

いやー、大変だなーとか言いつつも「ペンテコステ!!」とか言って遊んでいたら、滑って岩から転落して、めがねとカメラと腕時計が壊れました。
皆さん最初は気遣ってくれたのですが、そのうち、

 親分「おまえ、みだりに神の名を唱えているからだよ、真面目にやれよな〜へへへ」
 KM叔父貴「危うく、もう一個十字架が増えるところだったね、宗比5番崩れみたいなね、ふふふ」
 MI叔父貴「今の受身、よかったよー、なんか武道やってたの??」

みたいな感じになってしまいました。

と、そんなこんなで午後からはあまりに海が青過ぎるので、急遽水着を買って、楽しく海水浴をして、ビール飲んで眠りました。

翌日は、日焼けと海月と二日酔いにやられてくたくたになって船にゆられ、飛行機にゆられ、合計10時間近くかけて、帰国しました。

飛行機の中の本で気づいたのですが、五島って、東京よりもはるかに平壌に近かったんですね・・・

長崎・天草の巡礼地と教会ガイド