げど

以下、ネタバレもあるし、ひょっとしたら相当に不適切な発言もあるかと思います。
なので、ものすごく楽しみにしている方や、ゲドを愛しすぎちゃってて、ゲドのこととなると何をするか分からないという方は、ご遠慮くださいませ。
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原作なんかはすっかり忘れてしまっていて、完全に初めて見るお話でした。
客席には子供がたくさんいましたが、まあ、分からなかったでしょうね。

「戦記」っていうから、てっきりミサイル打ち合ったり、スタンドで闘ったりするものだと、私も子供もそういうのを期待していました。
基本的に私は爆発で車が10台ふっとんだり、主人公が飛行機から飛び降りたり、そういう映画が大好きです・・・普通「戦記」っていうと、まあ、だいたいそういう方向性を考えますよね。

というわけで、ものすごく素直にこの映画を捉えてみると、正しくは「ゲド戦記」ではなくて、「ゲド性器」です。
なんか恐ろしくおぞましい響きですが、素直に解釈すればそうなる気がします。

話の要諦は「引きこもりが、いかにして性交可能な異性と結ばれるのか」ということです。

話の冒頭、主人公アレン少年(V6岡田)の引きこもりぶりが紹介され、いかにも抑圧的な母親と、優しそうだけどアレンには興味のなさそうな父親である王様が登場します。

それで、なんの脈絡もなく、いきなりアレンは父親を殺します。
政治的・思想的理由なんかなくて、明らかに「透明な少年の不透明な悪意」的殺人で、殺人後、アレンは父親から剣を奪います。
そして、剣を持ったアレンは、完全に無軌道な旅に出て、大賢者ゲド(菅原文太)と出会い、なかば無理矢理行動を共にすることを強制されます。

で、明らかに過去に性的関係にあったゲドのなじみの女テナーのところに二人で転がり込んで、なぜか農業にいそしみ、擬似家族的な風景が延々と描かれます。

そこにはアレンと同年代の少女テルーも偶然居合わせます。
アレンは街で彼女が襲われているところを抜けない剣を使って助けるのですが、彼女にかなり厳しく拒絶されます。

最後までみればわかりますが、この時点でテルーがアレンを厳しく拒絶する言葉、「命を粗末にするやつは嫌いだ」は、「性交できないやつとは性交しない」というトートロジーに換言できます。

「殺した父親から奪った抜けない剣」が、アレンの性的ステータスつまり性交不可能性を示唆していることは明らかです。

そんなわけで、擬似家族の下で男二人女二人でしばらく暮らすわけですが、ゲドが女性を独占していて、アレンはいつまでたっても性交できません(この辺までは、てっきり農業賛歌の映画かと思いました)。

その結果、アレンは手っ取り早く性交してくれそうな女性のもとへ走ります。「ゲドと昔いろいろあった」クモという魔女のところです。
つまり、父親(=ゲド)が恐らくは性的関係を結び、その後捨てたために父親のことを恨んでいるであろう女性のところへ行くわけです。

この辺で私はほとんど寝ていたわけですが、クモがアレンから本当の名前を聞き出すシーンの声を聴いていて、「あっ、V6が悶えてる」と思って覚醒しました。

そのシーンでは、アレンは媚薬のようなものを飲まされて、クモのベッドに寝かされて、嗚呼嗚呼言いながら身をよじっていました。
クモはベッドの縁に座って、アレンを言葉攻めして、本当の名前を聞き出そうとします。

この辺から目が覚めたのですが、アレンの表情を素直によめば、クモは明らかにアレンの性器を触っていたはずで、アレンは果てるようにして本当の名前を言ってしまいます。というわけで、アレンは親父の昔の女によって射精します。

でも、クモは、ゲドへのあてつけとしてアレンを射精させただけなので、性交はしてくれません。
そんなわけで、家で縛られていたテルーの登場です。

テルーはゲドが助けに来てくれるのを待っていたわけですが、ゲドはいつまでも来ません。なので自力で拘束を解いてゲドの元へ向かいます。

で、道の途中でゲドと出会うのですが、ゲドはテルーに「家にいろ」と言って、アレンの抜けない剣を渡してしまいます・・・・おかしいですよね、家にいろといいつつも、クモの館にいるはずのアレンの剣を託すわけです。
明らかにゲドはアレンの自立と性交を望んでいません。

でもテルーは、剣を抱いて家を飛び出し、途中からは、性交可能になった未来のアレンに導かれてクモ邸に到着します。

で、剣を抜こうとせずに、北の国から吉岡秀隆みたいにグダグタ言っているアレンに対して、「死があるから生があるのだ。生を伝えていけば死を恐れる必要はない」=「セックスすれば死んでもいいじゃん」と山田詠美みたいなことを言い出し、さらに自分の「本当の名前」を教えて、アレンとの性交可能性を肯定・承認します。

そんなわけで、元気になった引きこもりは、初めて剣を抜いて親父の昔の女をやっつけます。

注目すべきは、父親で大魔法使いあるゲドは、息子アレンの戦いを一切助けません。
ちょっとがんばれば解けそうな手枷のロープを解こうともせず、今の女テナーと一緒に戦いを最後まで傍観しています。

というわけで、めでたくゲドから女性を奪ったアレンは、以後はまっとうな大人として歩みましたとさ、という感じでしょうか(実際、国王になりますよね)。

もしもこの映画に中途半端なところがあるとすれば、分かりやすい性交シーンがまったくなかったところです。

たしか原作では、テルーは二人の養女になっていたはずです。
そうしないと、あの尺の中では、ゲドの位置づけと属性が見えてこないですよね。。。

これを分かりやすく説明するには、ゲドとテナーとテルーの3Pとそれを寝たふりしながら覗き見するアレン、という火宅の人的なシーンが必要です。

ついでに、クモとアレンの性戯もきっちり描いたら、それこそゴッド・ファーザーに匹敵する傑作になっていたと思います。

ジブリ初の18禁!!」となれば観客動員も凄そうですよね。