アメリのパシリ

というわけで、先日は、26歳の誕生日を迎えた学友のお祝いと称して、学友邸にて焼肉宴会をして参りました。

20世紀少年ではありませんが、偉大なロッカーはだいたい26歳でゴーゴーヘブンしているので、お肌と人生の曲がり角である26歳の誕生日を迎えた今、彼/彼女は偉大なロッカーではないことの動かぬ証左なのである、という至極当然の端的で残酷な事実を皆で確認して参りました。

牛3頭と差し入れのハーゲンダッツも頂いて、半ば気持ち悪い勢いで翌日帰宅して、とりあえず頭をフランスに戻そうと、以下の二冊を読みました。

沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き

沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き


フランス暴動----移民法とラップ・フランセ

フランス暴動----移民法とラップ・フランセ


どちらも、これまで日本ではあまり紹介されてこなかったフランスで、「おふらんす」じゃない移民と移民排斥のフランスを取り上げたものです。

二冊とも綿密な取材と資料に依拠していて、非常に面白く読みました。


『沸騰するフランス』は、私のような臆病者ではとても近づけないような様々な政治家・運動家の貴重なインタビューが沢山掲載されていますし、

フランス暴動』は、郊外の若者たちの間で人気のあるフランスのラップを綿密に分析することで、その社会政治的状況をあぶりだしたものです。


ただ、どちらも「色々な問題を抱えていても、やっぱりフランスは(政治・社会)意識が高くて、日本のそれは惨憺たるものだ」というような論調が随所で見られ、それが個人的に気になりました。

特に『沸騰するフランス』の最後におさめられた、著者と宮台真司の対談なんかがそうではないでしょうか。


それが社会全体の政治・社会意識を反映しているかどうかは分かりませんが、確かにフランスでは、歌手や俳優やスポーツ選手が、日本よりは積極的に社会問題・政治問題に対して、発言・行動する風潮が強いと思います。


特に、『アメリ』で八百屋さんのパシリを演じていて、『アンジェラ』で主役を演じた片手の俳優ジャメル・ドゥブーズ(Jamel Debbouze)なんかがその典型でしょう。


彼自身が、モロッコ系移民で両親を持ち、パリ18区で育ち、父は交通支局に勤め母は家政婦という、ある種の典型的な移民の子女です。


彼は、昨年の暴動後にも、郊外に出かけていって、若者たちの擁護と啓蒙を行おうとして思わぬ反発にであったり、最新出演作の『Indigene(原住民)』という映画では、フランスをナチスから解放するために闘ったアフリカ人志願兵を好演しているそうです。


また、アメリの恋人役ニノを演じ、「ゴシカ」や「クリムゾン・リバー」を監督したマチュー・カソヴィッツ(Mathieu Kassovitz)もユダヤ系ハンガリー人の父を持つ移民の子供で、郊外を舞台にした「憎しみ」(1995)という作品を撮っていて、暴動の時にもその発言がもっとも注目された人のようです。


確かに日本では、アメリは「おふらんす」として受容されているし、まさかニノが移民の動向について一言あるとは思い至りません。


彼自身によるブログを見れば分かりますが、確かに政治的に発言することを厭わない方のようです。
どう考えてもポルノ・ショップでバイトして、奇妙な証明写真を集めるタイプじゃありません。


とはいえ、「こういう人が日本にもいるべきだ」と考えるのはなんかおかしい気がします。

そんなに肩肘張ったやり方は、あまり似合わない気がします。


同じ成熟社会と言ったって、おかれた情況・文脈が大きく違います。


及川氏や陣野氏がそうだとは言いませんが、彼の地のラッパーを日本人の知らない「ほんとの苦難」に晒された魂の詩人として如く奉り、それと自分を同化させて、「だから日本の若者はだめなんだ」とやるのは行儀が良くありませんし、なんか説得力もありません・・・・本質的には、蛸薬師でB−BOYの格好をして、いきがってるお兄ちゃんたちとあまり変わらないと思います。


というわけで、おふらんすなフランスだって重要で面白いし、暴動のフランスだってフランスだと思います。


このうちのどちらかを重点的に取り上げて、その観点から日本をどうこう言うのは、サイードの御名を出すのもおこがましいくらいに単純なオリエンタリズムというかオリエンタロ・オクシデンタリズムというか逆行のオリエンタリズムなのではないかと存じます。