Euro Misery

というわけで、「コンドルセことマリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・カリタは、なぜ微分よりも先に積分を思いついたのだらうか」という個人的な悩みを抱えながら学部ゼミのTAとしてご奉公していました。

すると突然、「なんで今の学生はマルクスを読まないの?っていうか、彼の理論は破産したのかな?」みたいな御下問がありました。

どうやら、プロ倫は、マルクスの経済決定論に対する批判という文脈を持っていて、倫理と経済の相互関係を説いたのである云々といったようなお話から、マルクス話にスピン・オフしたようです。

自分が学部生の時から不思議でしたが、マルクスの話って、そういうことに興味のない方々にも妙にうける気がします。

さっきまで兵馬俑のお兄さんたちのように静止していた人が、「実はわれわれの間の関係は、人格なんていう良く分からないものに基づいているのではなくて、すべては金なのさ、金、ふふふ」みたいな話になったとたんに目をさまし、「失うものは鉄鎖のみ」みたいな箴言を聞いてゆんゆんきちゃったりします。

で、先生の方も先生で、「そもそもね、私がこういう教壇の上から君たちに語りかけると言うこと自体が、非常に反革命的なのだよ」みたいなことを言って、教壇から降りちゃったりして、おいおい何にも見えないし、それはどちらかというとフーコーの議論では・・・・などと思っていました。

が、なにはともあれ、「ダイヤモンドはなぜ高いのか」という恐ろしくシンプルなマルクスの立論は今もって魅力を失っていないようです。

で、件の御下問には、勿論答えられるわけもなく、「もうちょっと小さい国でやったら、うまくいったのかもしれません。ソ連と中国はでかすぎです。それに西欧の社民主義も、その支流のひとつと数えても良いのではないでせうか・・・」と、本当にわれながら毒にも薬にもならない答えを致しました。

バチカンとかでやればうまくいくかもしれませんが・・・・とか言いかけましたが、あそこはアンチ共産主義・フリーセックスの砦でしたね。

というわけで、宗教は、逆境に悩める者のため息であり、心なき世界の心情であるとともに、精神なき状態の精神であると感じた反革命的な一日でした。