東京都は東京固有の領土です
というわけで、一月ぶりくらいにテレビを見たのですが、都知事選があるんですね。
現職の嵐を呼ぶ男の兄貴に対して、元宮城知事と若尾文子の旦那、それに顔色の悪いタレント弁護士まで出ようとしているらしいです。
さて、狂った果実の原作者は、知識階級と呼ばれる集団には兎に角評判が悪いですね。
彼を認めるようなことを言うのは無知の表明であるような雰囲気が漂っています。
そりゃそうでしょう。
でも、今回も選挙は強いだろうなと思います。
もちろん私は投票しません。
また、フランス語が数もまともに数えられないという主張には同意しますが、応援しているわけでもありません。
でもでも、たぶん多くの正しい語の意味での東京都民と同様、「慎太郎以外はちょっとな・・・」という雰囲気はあります。
政策で投票するような人は知識人しかいないから、大部分の人は、基本的には知事なんて誰だっていいんです。
ただなんというのでしょうか、とりわけ○山弁護士みたいな人が知事になったりすると、ますます東京が田舎くさくなる気がします。
田舎はいいんです。
私は立山みたいなところは好きです。
貧乏もいいんです。
日本残酷物語とか金塊巻とか星一徹みたいなのも嫌いじゃありません。
ただ、田舎「くさい」のとか、貧乏「くさい」のが嫌なんです。
あまり上手くは表現できないのですが、○山弁護士みたいな人が知事になったりすると、たとえば
六本木ヒルズとジャスコを区別できちゃうような人が増える気がします。
まともな人には、この違いは知覚できません。
時は1980年代、ロシヤ人を恐れるオホーツクの民のように、東京都民は埼玉県民を恐れていたとある顔の悪い作家が書いていました。
でも、最近では、都民もそんな贅沢はいいません。
関西人が本気で東京タワーよりも通天閣の方が高いといってもアルカイックな笑顔を浮かべて耐えられるようになりました。
自分が東京タワーに昇るような人間に見られたことについて。
ただ、なんというのでしょう、時代の趨勢とはいえ、
北緯40度30分ニューヨークと同じだね八戸市
みたいな感性が、これ以上都内にばら撒かれるのが嫌な人は、まだまだ多いような気がします。
神楽坂をプチ・フランスと言っちゃうような無感覚(たったいまテレビで福留という巨人ファンのアナウンサーが出ている番組で言っていました)。
慎太郎は、こういうすべての臭気と闘うための消極的選択肢として票を集めているのでしょうね。
東京にとっての「人間の盾」みたいなもんです。
なんというのか、スターバックスのコーヒーをとりわけ美味しいと感じるような味覚。
あんなもの、エスプレッソと泥水の区別もつかない田舎者の国の最果ての番外地で生まれた飲み物です。
こういうものがある限り、裕次郎の兄貴は常に一定程度は票を集めるでしょうね。
都のお金で息子の渡欧に報酬を出したとかなんとかという報道がありましたが、あれはそもそも実費弁済だから報酬ではないよねなんてややこしい話を持ち出すまでもありません。
都民の税金が田舎の国道造りに使われたり、あるいは土手の下からアホな赤い棒もって飛び出して20キロオーヴァーを取り締まる田舎のおやじの給料に化けてることの方に不満があります。
そりゃ、首都大学東京も新銀行東京も大江戸線も心の東京革命もどうかと思うし、さすがに太陽族も年をとったなとは思います。
一番許せないのは「首都高は美観を損なう」という発言です。
とはいえとはいえ、「様々な魅力を持ちながらも、県全体としては垢抜けないなどと言われることもあった千葉県のイメージの一新」のために、
みたいなロゴを元資生堂宣伝部の著名デザイナー仲條正義に作らせたりして政治的自殺をはかったり、仕舞いには、
こんなのをマスコットにする品性のなさは、どうしてもね・・・・
「首都高こそが東京を東京たらしめている。ぜったいに日本橋の景色を変えません」と主張する候補者が出たら、本当に投票しても良いのにな。