儀礼と信念による規則的な象徴的コミュニケーション
というわけで、フランス宗教社会学の重鎮であるジャン=ポール・ヴィレームの本がクセジュから出ました。
日本語で、デロッシュとかセギーとかエルヴュ=レジェとかの名前が出てくる本が読めるなんて、ほぼ初めてのことではないでしょうか。
臨海地域のくまざわ書店で一人で立ち読みしていて、ゆんゆんきちゃいました。
英米系のものとは、また違った宗教社会学です。
宗教からの離脱によって社会学が可能になって・・・というウェーバー、デュルケム、マルクス、ジンメルなどの恒例の始まり方をします。
最後は、ポスト世俗化論の宗教社会学の視点の模索という恒例の終わり方です。
が、「入門」としながらも、後半にいくにつれ、結構踏み込んだ内容になっています。
英米系との違いの一つとして、ル・ブラの教派的宗教社会学が大きく扱われることがあると思います。
その大規模な調査によってか、あるいは占めた地位によってか、教会法学者が一時であれフランス宗教社会学に残した足跡は、かなり大きいことが分かります。
そして特に面白いのが、第三章「社会学に映る現代の宗教的なるもの」です。
新宗教運動に始まり、現代のさまざまな変容した宗教性、つまり「聖性の転移」が扱われます。
当然、機能的定義が持ち出されるわけですが、すぐに、それが持つ際限のなさが指摘されます。
「宗教的なるものがもはやどこにも見えなくなってしまったからといって、あらゆるところにそれを見る必要はない」というエルヴュ=レジェの議論も紹介されます。
というわけで、終章では、宗教の定義の問題が扱われます。
実体的定義と機能的定義の二つが紹介され、これらを調停が論じられます。
ヴィレームがポイントにするのはカリスマ。
で、ウェーバーとデュルケムをミックスするような感じで、次のような定義が結論されます。
創始者的カリスマへ関わり、社会的紐帯を産みだす、儀礼と信念による規則的な象徴的コミュニケーション
なんだか難しいようなシンプルなような感じですが、この定義の導出過程はなかなか知己に富んでいます。
是非、ご一読くださいませ。