はねけん

というわけで、羽田健太郎さんは、やはり亡くなっていたのですね。。。すごくショックです。

明け方に学会と学会の間にどこかテレビのある店にいて、朝になって「題名のない音楽会」が流れたのですが、ひたすら羽田氏が映っていました。

CMもほとんど流れないので、「あれ、とうとうテレ朝国有化か(ただし北京の方に)!?」とか思っていたのですが、残念ながら、追悼番組だったようです。

幼少の頃から、「あんなに太い指で鍵盤と鍵盤の間に指が挟まったりしねーのかな」とか思いながら、「音楽は世界だ」なんかを見ていて、個人的には最も親しんだピアニストでした。

色々くだらない批判もありましたが、無意味にクラシックかジャズに特化しちゃった貧乏ピアニストよりも、遥かに確かなテクニックがありました。

そして、なによりも、アレンジャー、コーディネーターとして天才だったと思います。

その傑作がトリプル・ピアノでせう。

買ってから10年以上経ちましたが、今でもヘビー・ローテーションで聴いているし、車にもMP3プレイヤーにも常備です。

まだ聴いたことのない方で、音楽に興味がある方は、騙されたと思って是非買ってみて下さい。

酒の飲みすぎが原因のようですが、それでも良いですよね。もう二度とこういう人は出ないような気がします。

あとはピアニスターHiroshiくらいしかいませんね。

なんかこの状況って、ニルヴァーナが死んだあとに見回したらグリーン・デイしかいなかった時と同じような終末感です。

ところで、「題名のない音楽会」って、初代の司会は黛敏郎だったわけですが、彼のときは非常に政治がかっていたんですね。

なんか涅槃交響曲みたいなイメージしかなかったのですが、政治活動にも熱心だったらしく、それを同番組で丸出しにしていたようです。

彼の時代のタイトルが凄いです。

1969年2月9日:『京都遷都論』

1970年1月2日:『皇紀2630年奉祝番組』

1971年9月11日:『陛下御外遊奉祝番組』

1973年9月29日:『伊勢遷宮奉祝番組』

1974年8月24日:『君が代考』

1977年4月3日:『神武天皇実在論

1977年6月19日:『元号制定記念番組』

1977年10月30日(放送予定):『教育勅語のすすめ』(放送されず)

1981年:カンタータ『憲法はなぜ改正されなければならないか』(歌詞及び構成は黛自身)
公開したが、放送されず撮り直し。黛は「表現の自由侵害だ」と抗議。代わりに放送されたのは『カラコルム渓谷の音楽』で、撮り直しに合意しなかった黛抜きで放送された。

1984年1月15日:『君が代考-鹿児島にて』

1993年6月6日:『皇太子殿下、ご成婚を祝ふ』ほか

題名ありまくりじゃねーか、と思いますが、まあ、天才なので良いのでせう。

しかし、『憲法はなぜ改正されなければならないか』の差し替えが『カラコルム渓谷の音楽』というのが笑えますね。

テレ朝的には、カラコルム渓谷は、いかにも政治的に無害だったのでしょうね。

神武天皇実在論』なんかは、どうして良いか分かりませんね。

ふ〜ん、としか言えないような、右翼も左翼も日本共産党も困ったのではないでしょうか。

色物企画としては、1982年12月26日:『評論家対抗紅白歌合戦』なんてのがあります。

いったい家族以外に誰が見たんでしょうか。

さらにわけわかんないのが、1980年12月28日:『花の政党対抗紅白歌合戦』。

私設秘書以外に見るやついたのでしょうか。

公設は多分見ていないと思います(当時はそういう区別はなかったのかもしれませんが、たぶん実質的にはあったような気がするので)。

なにはともあれ、心から御冥福をお祈り致します。