正しい命の燃やし方

というわけで、今さらながら、『搾取される若者たち』を読みました。

著者は大学在学中に休学して、一年間バイク便ライダーとして働き、同書は、その時感じた疑問と違和感を社会学を使って読み解こうとするものです。

非常に明快な議論で、すごく面白く読めます。

なぜ、「時給ライダーから歩合ライダーへの転向は認められるが、その逆はダメなのか」というシンプルな疑問を出発点に、現代の多喜二ワールドの問題点が明らかにされれます。

議論そのものには瑕疵はないと思います。しかし、そうであるがゆえに、個人的には、より根本的なレベルで、そうした議論が指し示す方向性というのが、なんとも暗いと思いました。

同書の議論を一言で言えば、「昨今の称賛される「やりたい仕事」みたいのをたとえ見つけたとしても、それがバイク便のような現代の蟹工船みたいな世界だとまずいよね、やばいよね」ということです。

自己実現するなら、まとまな仕事でするべきであって(同書で言えば、たとえば検事)、バイクみたいな趣味の延長線上にあるような仕事(たとえばシステム・エンジニアとかケアワーカーとか)で自己実現すると、趣味の仕事化を通り越して、仕事による趣味の更新が生じて、そりゃーもう酷い目にあうぜ、ということです。

ナナハンに乗ってたナイスガイが、いつのまにかカブ万歳!みたいになっちゃうわけです。

バリバリ伝説からすり抜け伝説になっちゃうわけです。

もちろん、著者は、そういう職業で自己実現する若者を批判しているのではありません。

そういう職業で自己実現してしまう若者を生み出すような社会経済的構造を批判しているのであって、非常にフェアだし、客観的な議論です。

でも、なんとなく寂しいですよね。。。

その行論は、最終的には、「どうせがんばるなら、まともな職業につきませう。蟹工船なんかやめた方が良い」といったあたりに落ちてしまう気がします。

実際、著者もその点には自覚的で、最後に「じゃあ、どうすればいいの?」という処方箋を出すのですが、つまりは労働組合的なものを作って、しっかり権利を主張しませう、ということになります。

まったくその通りだとは思いますが、やっぱり寂しいですよね。。

「お金がなくても幸せになれる!」とか、「早死にしたって良いじゃないか!」とか、「命は燃やしつくすためのものじゃないか!」とか、「明日から毎朝5時に起きて仁義なき戦いを見よう!」みたいな刹那的な答えを導いちゃうような議論でも面白かったかな〜と思います。

が、著者がすぐれているがゆえに、そんな寝言はもちろんおっしゃいません。

お金があるにこしたことはないし、早死にしないにこしたことはないし、命はちょぼちょぼ燃やした方が良いのかもしれませんし、元気があってもできないことはできませんよね。。。