巴里に死す

というわけで、部屋は利休的な前衛的美学に貫かれてはいますが、場所はかなり良いところです。

近くには、パリ最大の墓地ペール・ラシェーズがありました。

パリの墓地は、お散歩するのになかなか良いところです。とはいえ、全部歩こうとすればおそらく半日はかかるほどでかいので、夜肝試しなんかするのはやめたいですね。怖いからではなくて、間違いなく遭難するからです。

案の定、ペール・ラシェーズの入口には、地図屋さんがいて、有名人の墓所をマッピングした2ユーロの地図を売っています。

また、入口の前の道路には観光バスが何台も横付けにされていて、かなりの数の観光客が聖地巡礼にやってきていました。

一番人気なのは、間違いなくオスカー・ワイルドでしょう。

うーん、なんとも前衛的なお墓です。

何風なんでしょうかね、これ。

で、映画『Paris, je t'aime』でもやっていましたが、世界中の女の子がワイルドの墓にキスしていきます。

模様のように見えるのは全部キス・マークです。

死後もこんなにもてるのに、どうしてドラキュラの作者なんかに恋人とられちゃったんでしょうかね。。。

で、マニア受けしているのが、アラン・カルデックの墓。

台座に「心霊哲学の創始者」というようなことが書いてありますが、カトリックの墓地にこんなこと書いても良いのでしょうかね。

やはり、けっこうそれっぽい方々がいらっしゃっていました。

で、若い人が多いのがジム・モリソン。

まさに夭折ロッカーの代表ですね。


私が行ったときは、ここが一番人が多かったのですが、ジムが可哀想なのは、その前後をやたらとでかい、別に有名でもない人に挟まれていて、ぱっと見では、どれがジムの墓なのか分からないことです。

なんかバブル期の変な形の土地みたいなところにありました。

で、欧米の人々は、上記の墓と、あとはショパンでも見ると終わりなのですが、ジャポネにはまだ一人見なければならない人がいます。

そう、野中元右衛門です、、、、、、知りませんよね、そんな人。

野中さんは、SAGA藩の御用達商人でした。

が、主な取り引きは密貿易だったそうです。

でも、捕まるような下手はうたずに、殿様にその利益を還元しました。

で、殿様は、その金でアームストロング砲とか蒸気船とかを作って、佐賀を一気に近代化させたそうです。

で、こいつは使えるということになって、1867年の第2回パリ万国博覧会佐賀藩派遣使の面子に加えられます。

で、フランスにやって来るのですが、野中さん、着いたその日に亡くなってしまいます。

こうしてフランスで客死した最初の日本人になります。

うーん、なんだか切ないですね。