大きくなっちゃった・・・

というわけで、西欧北壁遠征まで一週間を切ったのですが、まだスーツ・ケースに何も入れておらず、もはや準備する気力がなくなってきました。。

こんな時期まで日本にいたのは、もちろん冬季登攀を目指すためです。

グランドジョラス北壁がどんだけ寒かろうが、必ずピークを踏んで来なければなりません。

怠惰が身にしみるので、もう、空のスーツ・ケースを開けたくもなくなってきています。

しかもモンブランが大きくなってしまいましたね。。

2年ごとにGPS使ってはかり直しているそうですが、4810.9メートルと2mでかくなったそうです。

でも、いったいどういう物を持っていくと良いのでしょうか。。

カナビラとハーケンとロープと靴だけで、三等席のマックスである20キロに軽くいっちゃうのですが。。

ちなみに、たとえばチョモランマとかチョ・オユーとかカンチェンジュンガとかナンガ・パルバットとか、そういうハードな山に登る場合には、200kgからの荷物が必要です。

で、スポンサーがついていないほとんどのクライマーはどうしているかというと、成田空港でチェックインぎりぎりまで荷物を預けずに、余裕がありそうな人に片っ端から頼み込んで持ってもらうそうです。


というわけで、与太はどうでも良いのですが、それにしても、どうしたら良いのでしょうか。。。

一番重量を食うのが本です。

また、その選択が一番困難なのも本です。

果たして向こうでどれだけ日本語の本を使うことになるのか分からないので、その選定が微妙です。

まず当確なのはフランス語の辞書でしょう。これがないと生存できない情けない子です。

「ギリシャ語とかラテン語なんかは抵抗がなくてつまらない」井筒俊彦氏くらい語学に熟達していれば良いのでしょうが、そういうわけにも行きません。

そんなわけで、仏語辞書は当確です。

でも、二位以下からは混戦です。

気分は「無人島に行くときに一冊だけ持っていくならば、どんな本にするか」みたいな感じです。

でも、よく考えてみると、無人島の方が気楽ですよね。

だって、どうせ誰もいないし(それが無人島の定義ですね)、紀要もないだろうから論文書くこともきっとないだろうし、人に本棚見られることもないわけだから、それこそ好きなものを持っていけば良いわけです。

ボードレールが苦労したみたいに、博覧強記のくせに、人から見える所には聖書一冊だけを置いておくようなダンディズムをかまさなくても良いわけです。

自我のダメージさえ気にしなければ、椰子の木で作った本棚を藤本ひとみの本でいっぱいにしても誰に後ろ指をさされません。

また、私事化していない制度宗教的パッケージに基づく確たる信仰でも持っていれば、それほど悩むこともありません。

たとえば、私がムスリムならば、「たしかハディースは入れたと思ったけど、もう19kgだな、クルアーンどうすっかな・・・」みたいにはなりません。

あるいは、私が熱心なユダヤ教徒であれば、アミーダー・アーレーヌー・ムーサーフを含んだシャハリート・ミンハー・マアリーブを行い、シェマア・イスラーエールを唱え、ミクラーを読み、食事とトイレの前の手洗いと祈りを行い、戸口のメズーザーに手を当てて祈り、カシュルートを実行し、ミクラーとラビ文学の研究を行い、シャッバートを行い、パーラーシャーを読まなければならないのですから、何が必要なのかは相対的に明確なはずです。

しかし、いくら内省してみても、祈ったのは、どうしてもどうしてもドラスジ牌を切らなければならない時くらいです。

宗教からの脱出後の近代性の浸透の帰結としての再帰性を、まさかフランスへ行く荷造りの際に実感するとは思いもしませんでした。

また、フッサール研究者でも、いくつかは当確がでるでせう。

とりあえずは、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』はいれるでせう。

まあ、確かに、たとえばフーコー研究ともなると当確が多くてなかなか面倒です。
が、とりあえずは邦訳とはいえ『狂気』と『監獄』あたりは迷わず当確がでるはずです。

しかし、問題なのは、私はフッサールを研究しているわけでもなければ、ムスリムでもないし、フランスは無人島じゃないし、ましてや兄貴のように聴牌者の手牌が見えるわけでもないことです。

こうなると、どうして良いのか分からない子になってしまいます。

たとえば、岩波の『哲学・思想事典』という、小口径ならば防弾チョッキにも使えるような本があります。

枕にするにはちょっとでかいですよね。

これは持って行くべきなのでしょうか。

辞書・事典というのは汎用性が高いわけですが、汎用性が高いゆえに、ある程度までしか役に立たないという宿命的な欠点があります。

フランスにまで行ってそこまで蓋然的な情報が必要になるのだろうか、と考えるとなんだか面倒ですし、フランスはそれほどの銃社会でもありません。

あんな重たいものを持ってアムステルダム空港をうろうろすると思うだけで、リオタールなみに暗くなります。

じゃあ、岩波の『キリスト教辞典』はどうでしょうか。

こちらは汎用性が低い分、情報が緻密で、実際的な有用性が高く、なによりカバーの模様が象徴的で好きです。
「キリスト教なんだから、十字架片っ端からつけとけや!」みたいな感性に好感が持てます。黄色の地に、金色の模様が映えます。

と、フランス語以外の辞書と事典は半ば模様で決めていますが、それ以外の学術書は完全に混沌としています。

だって、たとえばの話、ちょうど入国しようとしている時に、フランスでは24並の大事件が起きていて、ジャック・バウアーみたのが本の間に生物兵器を隠し持った中国系アメリカ人のテロリストを捕まえようとしていたとして、足止めされていたとします。

その時に、『思想としての〈共和国〉』とか、『フランス・イデオロギー』とか余計な本を持っていると、なんだか大変なことになりそうですし、仮にジャック・バウアーにホールド・アップされなくても、なんだかパリのアパルトマンで『フランス・イデオロギー』を本棚に入れている自分の姿を思い浮かべると、思想的に面倒になってきます。

だって、9.11の直後に、アメリカの空港で、手帳に「suicide」と書き付けていた邦人が拘束されましたよね。

たしか、アメリカを旅行していて、新聞によく出てくる単語だったので、書いておいて後で調べようとした、みたいな供述をしていたそうですが、このご時勢、どこにジャック・バウアーがいるか分かりません。

もう、学術書というのは重たくでかくできているので、宿命的に飛行機の三等席との親和性が低いのでしょうね。

こうなると、いっそ学術書はひとまず置いて、じゃあ、娯楽用はどうするかなとか思うわけですが、これも微妙です。

極めて強くコミットメントしている作家でもいれば良いですが、なかなかいません。

しかも、その作家が夢野久作とか京極夏彦だったりしたら、面倒ですね。

まあ、重たい思いをしてパリまでもって行くとなるとなかなか微妙ですね。

その点、音楽とか映画は楽ですよね。

音楽はそもそも全部PCだし、DVDなんていくら持ってもかさばりません。

ということで、当確なのは「男たちの挽歌」くらいでしょうか。。。まあ、パリまで行って、亜州影帝を見たいかどうかはこれまた微妙ですが。。。

まあ、最終的に言えるのは、「パリは無人島じゃないし、ブックオフもある」ということでしょうか。。。

誰か代わりに決めて下さいませ。。。