文化的に鎖国しましょう
というわけで、くそ寒いとなると、11月1日からはカルト・オランジュも手に入れたことだし、近場でも楽してメトロに乗りまくるわけです。
で、よく言われることですが、ウォークマンの音漏れなんて繊細なことを言うのは日本の、どちらかといえば東京方面だけで、当然フランスなんかではむちゃくちゃです。
個人的には、東京のお通夜のような地下鉄の雰囲気が好きです。
初めて常磐線に乗った時は、「なんでこの電車は三次会で行った時の和民と同じ匂いがするのだろうか、あ、カップ酒開ける音がした!?」とかって動揺してしまいました。
で、パリのメトロで何が鬱陶しいって、漏れてくる曲が鬱陶しいわけです。
中島美嘉くらいならば、まあ、許してあげます。
仕方ないかもしれません。
林檎も良いでしょう。
でも、ここ数日で2,3回きいたのがドリカム。
明らかなフランス人のお兄ちゃんが音漏れさせて聴いているわけですが、もう、耐え難いものがあります。
いや、別にドリカム聞いたっていいんだけどさ。
ただ、お前が聞くな、みたいな顔の人が聴いているわけです。ほんと本質的にはどうでもいいんだけどさ。
それにしても、このドリカムの文脈離脱がなんとなく耐え難いんです。
18歳過ぎて「うれしたのし大好き」とか言ってんじゃねー、みたいな。
一度なんか、目の前でお兄ちゃんが彼女かなんかにドリカムを紹介していたのですが、「Eyes to me」を、フラングリッシュで見事に「エイズ・トゥー・ミー」って言ってましたからね。別にいいんだけどさ、なんかすげくねー。。
そりゃさ、他のフランス人には分からないかもしれないけどさ、おれは分かっちゃうよ、ドリカム。
東洋人が近づいてきたら、メシアンに切り替えるくらいのはったりが欲しいですね。
あとさ、エゴ・ラッピンとか、非常に微妙な路線で攻めてくるのも止めて欲しいですね。
ちょっと曲名思い出すのに時間かかっちゃうし。。
たまに本の話をし始めたかと思えばNARUTOだし。
20世紀後半の日本は少年ジャンプしか楽しみがないほど貧しくなかったもん。
ましてや、大人は漫画読まないんです!
ポール・ヴィリリオを読めとは言わないからさ。
忍者関係は、忍たま乱太郎で止まってるってのこっちは。それにしたって、おじゃる丸の後に、流れでなんとなく見てただけだもん。
しかし、向こうは向こうで、mangaの話をするとこっちが喜ぶと思ってくれているらしいですね。
そりゃ、悪気はないのはわかるけど、別にフランス人みんながスター・アカデミーに投票しているわけじゃないだろうし。
南米の人が全員サッカーやるわけじゃないのと同じじゃないでしょうか。
GTOだかなんだかは、鬼塚の名前が難しすぎて変えられちゃってるらしいしね。
「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」が「ジーコ」になっちゃうようなもんでしょうか。
でも、向こうは、日本人はだいたいマンガ読んでいると思っているので、なかなか信じてくれないんですね。
そんなわけで、やや乱暴とは思いながらも次のように説明します。
日本のマンガはフランスのカトリックみたいなもんです。
13世紀にはフランス全土がマリアに捧げられちゃったりしてフランスって言えばローマ教会の長女的なイメージがあるけど、実際はちがいますね。
カトリックは数あるオプションのうちの一つです。
日本のマンガも同様で、必ずしも全員が全部を読んでいるわけではありません。
いいですか、日本でマンガ読むのは再洗礼派なんです。
・・・・・うーん、自分でもよく分からないですね。
シンプルに「南米人が全員サッカーやんねーのと一緒だよ!」といえば良いのでしょう。
が、万が一、「え、全員じゃないの・・・南米人・・・ショック・・・・」みたいな反応が返ってきたら、今度は、バティストゥータが元バスケット選手だったことあたりから説き起こさなくてはなりません。
そんなわけで、ハードの輸出は良いですが、ソフトの輸出は控えめにして欲しいですね。
しかも、最近はようつべで字幕付きのドラマまで見ているらしく、それこそ聞いたこともないような題名をなんだか言っていますが、50%くらい日本語が混じっているので、きっとそういうドラマがあるのでしょう。
ハリウッドを抱えているアメリカ人とかって、もっと大変なのかな・・・