万神殿


というわけで、久しぶりに旧学友がスイスくんだりからいらっしゃって下さったので、ちょっと観光してきました。

とはいえ、仏独瑞の国境近くのスイス人なので、昼飯食いにちょっとフランスへ行く世界、フランス留学中に週末帰省する世界の人なので、分かりやすい観光地に行っても仕方ないので、微妙なところへ行くことにしました。

ということで、色々地図を眺めて、ここは一つ仏蘭西の市民宗教でも賛美しようと、パンテオンに行ってきました。

面倒くさいので、説明はウィキペディアから抜粋。

パンテオンはフランスのパリの5区、聖ジュヌヴィエーヴの丘に位置し、幅110メートル、奥行き84メートルのギリシア十字の平面に大ドームとコリント式の円柱を持つ新古典主義建築の作品。

18世紀後半に、サント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、後にフランスの偉人たちを祀る霊廟となった。パンテオンはギリシア語で万神殿の意味。

パリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴに献堂するため、1755年に建設が始まったが、フランス革命期の国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定された。

しかし、その後、ナポレオン及びナポレオン3世の時代以降、教会堂として使用された期間もあるが、1885年以降、三度偉人の墓所となり現在に至っている。

ギリシャ建築の純粋性を表現した初期新古典主義建築の傑作とされ、特に『建築試論』を著したマルク・アントワーヌ・ロジェは、この建築物を「完全なる建築のモデルでありフランス建築の真の傑作」と賞賛した。



というわけで、世俗化とか市民宗教とかいった概念の典型的な練習問題といったところでせうか。

まあ、ノートル・ダムですら、革命期には「理性の神殿」とかに名前を変えられて、巫女タソがデモクラシーの神様を祭る場所になったので、ここには限らないのでしょうか。

中は、とにかく異様にでかい。

新古典主義!!」と叫んでみました、嘘ですが。


理性がないくせに(来週からまたストです)、理性が大好きなフランスらしく、ドームの下にはゲイじゃない方のフーコーが作った振り子がおいてあります。。

あたりまえですね。

1851年1月8日に、フーコーさんがここで公開実験を行って、地球の自転を証明したんです。

ざ・理性ですね。


でも、振り子の横にはなぜか猫。。

理性的なことで有名な猫だったのでしょうか。

で、正面の祭壇に相当する部分には、「自由に生きるか、それとも、死んでしまおうか」とおっかないことが書いてあって、おっかなそうなお姉さんがいます。

で、脇には、国民国家フランスの形成のきっかけになったと事後的に選択された場面のでかい絵でいっぱいです。


とりわけ目立つのがジャンヌ・ダルク

あの時のフランスって、今で言ったら「ロワールの古城めぐり」くらいで、あとはイギリス人のものだったので、解釈はやはり微妙だと思いますが。。しかも、今ではカトリックの聖人ですよね。。

ちなみに、趣味でジャンヌ・ダルクの絵やら像は、色々と見てきましたが、この絵はあんまり可愛くないですね。

実際もそれほど可愛くはなかったそうです。

裁判の時の、彼女と一緒に戦った兵士たちの、

「良い人で、すっげー素朴な感じでした・・・えっ!?いやいやいやいや、変なこと言わないで下さいよ、いやいや、そういうことは考えたこともなかったです・・・・・」

という証言が残されています。

カトリック側は、「ジャンヌは魔女で、乙女と偽って、多数の兵士と性交していたはずだ」という証言が欲しかったので、こういうことを根掘り葉掘り聴いたそうです。

で、地下には、これでもかというくらいに、フランスのライシテ聖人たちのお墓が。

マリ・キュリー

ピエール・キュリー

アレクサンドル・デュマ・ペール

ヴィクトル・ユーゴー

ジャン・ジョレス

アンドレ・マルロー

ジャン・モネ

ジャン・ムーラン

ジャン=ジャック・ルソー

ヴォルテール

ルネ・デカルト

エミール・ゾラ

アンリ・ベルクソン

・・・・ととにかく有名な人だらけです。


でも、デザインは、全部一緒です。


ちょっと怖いのが、キュリー夫妻とルソー氏の墓。

前者はなんだかガイガー・カウンターが反応しそうですよね。

後者は以下の通り。

暗くて見えにくいと思いますが、棺の中から薔薇を持った手が出ています。

図像学的には何かしら難しい意味があるのでしょうが、日本人的には地縛霊ですね。

深く考えずに、早く成仏してください。

パンテオンの目の前には、兄貴に教えていただいた図書館があります。

そこには、パンテオンから追い出された、元パリの守護神サント・ジュヌヴィエーヴタソの名前が冠されています。

なんだか世俗化論にはうってつけの界隈ですね。。。