ガテン系聖女・・・・
というわけで、ちょこちょこ本を読んでいたのですが、修道院の内部でも、「聖女って、やっぱり美人じゃないとね・・・」という身も蓋もない感覚があったそうです。
なんでも、後に1980年代にミス・フランスに輝く女性が元々修道院にいたそうです。
しかし、修道院での生活がまったく合わず、どんどんやせ細っていったそうです。
すると、他の修道女たちが、「彼女はあんなに綺麗に痩せて、たぶんこのまま聖女になるに違いない」という意味のことを言って、羨ましがったそうです。
まあ、ミス・フランスなので聖女になったのかもしれませんね。
一方、1830年にパリのバック通りの教会で聖母を幻視したカトリーヌ・ラブレ。
彼女の幻視が、後のルルド以降の聖母出現を準備したようなところもあるので、この幻視は出現史的には非常に重要です。
が、彼女は、元々は農家の働き者で、ぽっちゃり系というか、ちょっとたくましかったというか、がっしり系というか、はっきり言って、ガテン系だったそうです。
そのせいなのかどうか分かりませんが、彼女が初めて聖心臓やマリアを幻視した時にも、彼女の告解僧は、「はいはい、妄想ね」と一撃で却下したそうです。
彼女の遺体は、今でも写真のような形で同教会の祭壇に安置されていて、私自身、多い時は週に4,5回目にしていますが、正直そういう目で見たことないし、「腐らない遺体」ということなので、大人の事情で蝋で作ったお面も被されていますしね。。。
ベルニーニ作のアビラのテレサ像は、こうした聖女は美人じゃないと困るんですが路線の極北ではないでしょうか。。
キリストや天使との交感という幻視が、明らかに性的なコノテーションをもって表象されています。
じゃあ、もう、いっそこれくらいでいこうぜみたいなことも思わないでもありませんが、なしですよね、はい。
前にもジャンヌ・ダルクはそんなに美人じゃなかったことが裁判記録として残されているみたいなことを読みましたが、彼女はスーパースターでフランスの教会にはたいてい彼女の像が置いてあります。
ジャンヌ像は、たいていはボーイッシュ系の美人に作ってあります。
レ・アールかどっかの教会においてあるのは、「あ、あずみ!?」みたいな感じだった気がします。
つまり、ジャンヌタソは、たいてい鎧を着せられているので、まあ、どうしても「戦闘美少女」みたいな感じになってしまうわけですが、まあ、実際彼女は「戦闘聖女」なわけで、聖女は美人じゃないといけないわけで、しかも早死にしてるから、もう、どうしたって戦闘美少女以外になり得ませんね。。
たぶんああいうのを作っている人々の心を翻訳すれば「なにはともあれ、綾波みたいなイメージでいきましょうよ、ほら、ね、実際どおりに作っても剣呑な場合もありますしね・・・」みたいな感じなんではないでしょうかと邪推しているのですがどうでしょうか。。。