サティスファイザー
というわけで、今週後半から四国へ出かけてお遍路のまねごとをしてくるわけで徐々に準備を始めているのですが、
その際の悩みの種がもってくカメラの選択。
写真は趣味ではないのでなんでもいいのですが、万年幹事なので集合写真とかも撮らなきゃだし、
なにか持ってく必要があります。
でも、いくつか持っていて、それぞれ機能が違うので困っております。
候補として挙がるのはこんな感じでしょうか。
ああ、もう見ただけで面倒くさくなります。
ばりばりの近代人ならば功利系で考えて、効用最大化を目指すマキシマイザー的観点を視軸に迷わずニコンD90でしょう。
しかし、われわれは近代がより深まった時代を生きているわけです。
選択を通して同一化という長くて骨の折れるエンドレスのプロジェクトに巻き込まれているわけです。
「するも選択、せざるも選択」というわけです。
しかし、G・バウマンの指摘を待つまでもなく、こうした「必然による選択者」というに状況に投げ込まれているにもかかわらず、われわれの実際的な選択の能力やそれに必要な資源は平等ではないわけで、
カメラ一つ選ぶにも、真の自由な選択を可能にする資源を欠いた自由というアンビヴァレンスに直面するわけです。
さらにいえば、近代人はお遍路には行かないので、功利系はちっとも説得的ではないんです。
近代人の元型ロビンンン・クルーンーはお遍路しに無人島に行ったわけではありません。
漂流しちゃったんで仕方なく奇しくも驚くべき冒険生活を送ったわけで、
だからこそ現地人を勝手につかまえて勝手にフライデーとかポップな名前つけて勝手に召使にしたりとファッキン・コロニアリストな酷いことをしまくるわけで、D90のでかいレンズとはまさにオリエンタリストのまなざしの電子化にほかならないわけです。
とはまったく思いませんが、要するに、下見の時、D90はすげー邪魔でした。
雨なんか降ると、濡れるのやだからカメラを気にして歩きにくかったし。
しかも、本番は初日の空港からの移動以外では車を使わず、ひたすら徒歩です。
3kg近くあるようなD90は早くも脱落でしょうか。
一方、もっとも軽いGR Digital2はどうでしょうか。
単焦点とはいえ、レンズも明るいし、高性能でとりまわしも楽。
しかし、最大の問題は一週間くらい前にGR Digital3が出たことでしょう。
この点、後期資本主義時代を生きる消費的人間としては忸怩たる思いがあります。
他方、U・ベックのシステム矛盾に対する伝記的な解決という観点からすれば、カメラ選択というアポリアを私化して、過去の巡礼と結びつけて、イベリア半島の果てのヤコブ氏の所にも連れて行ったニコンのコンデジになるでしょうか。
軽いし、ズームがすげーし、優等生です。
また、ほどほど選択のサティスファイザーが主観的にはもっとも幸せになれるというポップな理論も聞いたことがあります。
しかし、そうなるとペンタックスでも良い気もしてきます。
かれも一眼とはいえD90の半分くらいの重さで、大きさも手ごろです。
さらに単焦点のパンケーキ・レンズも持っているので、それをつければさらに軽くなります。
しかし、そうなるといかにも極端性回避の法則にしたがっているようで腹立たしいです。
と、このように考えてくると、今度は選択回避の法則が顔を出します。
もう、選べないと。。。
そんなわけで、上の写真をとったiPhoneで良い気がします。
入れたきゃ、使徒だって合成できるし。
なんせこのカメラ、電話とメールもおまけでついているし。
どうすっかなぁ。