Rohan

というわけで、これをどうしたものか迷っております

露伴先生とルーブル美術館のコラボ企画だそうです。

Mangaka célèbre et aduléとか書かれると、若干欲しくなってしまいますた。

そのわりにマーケットプレイスでは13€のようですが・・・・

どうやら、「ルーブル・コラボ第5弾」ということですが、これまでにもあったんですね。

第4弾はLe Ciel au-dessus du Louvreというもののようです。

ルーブルが初めて庶民に開かれた当時のお話のようですが、コラボというよりはただの歴史のようですね。

絵柄的にも話としても、驚くほど興味がありません。

確かに岸辺露伴みたいにぶっ飛んだキャラでもいない限り、こんな感じに落ち着くんでしょうね、コラボ。

知り合いの知り合いの知り合い・・・・

というわけで、誕生日ということもあって、某ロシアン・レストランに連れて行って貰ったのですが、料理は大変結構だったのですが、後ろの席が明らかに広い意味での業界関係者でまったく落ち着きませんですた。

明らかに半世紀くらい年上の好々爺×2でしたが、あまりに話題が近く、気になって気になってしょうがないし、どんなゴシップが出るのかドキドキが止まりませんでした。

あんなにワクワクドキドキしながらボルシチを食ったのは初めてです。。。

やはり業界的に、ある程度実社会との連続性を持っていることもあるため、こういうことがありうるんでしょうね・・・・とりわけ近くに関連施設が多い土地柄でしたし。

それにしても、この業界の御高齢の方々において特に顕著な「サラリーマン=貧しい」という観念連合の根強さはなんなのでせうかね。

お話を聞いていると、スーツは最低限でも英国屋英國屋でというわけのようですが、そういうわけにも行きませんよね、実際。


ところで、こうした業界的つながりを表す指数に、数学ならばエルデシュ数、俳優ならばケビン・ベーコン数という指標があります。

御存じとは思いますが、エルデシュ自身と共著論文のある人はエルデシュ数1、エルデシュ数1の人と共著がある人はエルデシュ数2、エルデシュ数2の人と共著がある人はエルデシュ数3という風にすることで、つながり方が分かるわけです。
詳しくはこちらからどうぞ

で、俳優の場合は、これがケヴィン・ベーコンが基準で、こんなサイトがあったりするわけです。

渡辺謙」なら絶対に3とか出そうでつまらないので、試しに「ワタナベイビー」とか入れても、まさかのケヴィン・ベーコン数3です。

   Watanababy
     was in
   Otoko wa sore wo gaman dekinai (2006)
     with
   Koichi Kimura (I)
     was in
   The Great Raid (2005)
     with
   Benjamin Bratt (I)
     was in
   The Woodsman (2004)
     with
   Kevin Bacon

決してホフ・ディランとボブ・ディランを間違えているわけではなさそうですね。
ちなみに、ボブはベーコン数2でした。

それはともかく、われわれの業界ではどなたを基準にすると面白いでしょうかね。

具体的に書くと怒られそうなの書きませんが、色々と思い浮かびますよね・・・ふふふ。

ちなみに、エルデシュの評伝はめちゃくちゃ面白いです。

若年層への浸透

というわけで、個人的に興味深いニュースがありますた。

 

兵庫県尼崎市のコミュニティーFM局「FMあまがさき」で6日から始まった新番組「8時だヨ!神仏集合」のタイトルが、宗教関係者から「誤解を招く」と指摘を受け、13日の2回目の放送から「8時だヨ!神さま仏さま」に変更された。

 往年の人気番組「8時だヨ!全員集合」をもじったタイトルで若年層への浸透を図ったが、“遊び心”は1回限定となり、内容に沿った無難なものに落ち着いた。

 番組のパーソナリティーを務める貴布禰(きふね)神社の江田政亮宮司によると、1回目の放送前にインターネットで紹介された内容を見た宗教関係者から「『神仏習合』を思わせ、よろしくない」と指摘されたという。2回目からは、番組内で流すタイトルコールを変更した。

 江田宮司は「神社と寺についての話が同時に聞けると好評をいただいており、できるだけ番組を続けられるよう、誤解を招かない形で放送していきたい」と話している。
(2010年4月21日09時28分 読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100421-OYT1T00175.htm

そっかー、シンクレティズムって、いくないことだったんですね。

そんなこととは露知らず、ブリコラージュとか再考してしまい失礼いたしました。

しかし、このニュースで一番引っかかるのは「若年層への浸透」を企図して、上記のタイトルにしたというところ。

すげー感覚ですね・・・・

しかも「8時だよ」は残すわけで、経緯を知らない人はもはや何が何だかわからないと思うのですが、
よく考えてみると、色々大人の事情があってこういう異なる文脈に由来する表象がくっつくことを習合と言っていたような気がするのですが、これって壮大な罠なんでしょうかね・・・・さらに言えば、「神さま仏さま」というワンセットの表現が流布していること自体が神仏習合の影響下にあるような気もするのですが、いかがでせうか。

ちっさい・・・

というわけで、さっそくあっちの家とこっちの家とうろうろしているのですが、こうなると困るのがメインのPCが複数できてしまうことです。

で、あっちでこのファイルを更新して、こっちであのファイルを更新してとやっているわけですが、そうなると自然とすべてのファイルが最新なのはUSBメモリだけになります。

しかも、こういうえらく小さいやつを使っているので、ほんと、いつ失くすかと冷や冷やしております。

少し前にも、大学の共有PCにさしたまま帰りかけました。

しかも「ノックスライド式」とやらで、カチッと押すと接続部が出てくる仕組みになっていて、それは一般的には全く問題ないのですが個人的には大問題で、なぜかと言えば、その押し心地がライターに酷似していて、大学なんかで使って上着のポケットに入れたままにして煙草吸うときにしばらくカチカチやって、「なんだよ、つかねーなー」とか言ってゴミ箱に投げかけたりするわけです、特に酔ってたりすると。

Evernoteもかなり前から使っていますが、やはり毎回バックアップをとる気はおきませんし、飽くまで予備の予備の予備のお守りといったところです。

メール添付して自分宛に送っておくという手もありますが、これもやっぱり面倒くさくて、毎回はやりません。

そうなると、せっかく久しぶりにノートPC以外のディスプレイ一体型の1TBもあるようなやつを買ったのに、持ち歩ける容量は結局はUSBメモリに依存してしまいます。

一時期は外付けHDを持ち歩くことを考えましたが、バッファローのやつはすぐ壊れちゃったし、だいたい一辺が10センチ以上になると、正直、持ち歩く気はまったくおきません。

解決策として、PCで作業するのやめてすべて手書きで済ませるということも考えましたが、こうなるとファイルが最新かどうか以上の面倒くささがでてきます。

だいたい、他の人もみんな手書派になってくれないと、このプランは成り立ちませんし、友達が減りそうです。

思い返せば、たしか大学の時に「おれは自由な人間だから携帯電話はもたないぜ、ふふ」という学友がいましたが、その自由さに誰もついていけず、友達がほとんどいなかったような気がします、自由をはき違えているだけな気がします。

そんなわけで、もう更新するのが面倒で、作業をしたくないようになっているのですが、なんとかならないでしょうかね・・・・

括弧付き

というわけで、めちゃくちゃ重要なのに完全忘却していた本来3月中旬までに出さなければならない書類を出して、私の中では、今から新年度ということになりました。

先月には博士(文学)という何とも忌々しい括弧付きの学位も頂きました。

括弧の中に何が入るかドキドキしていたのですが、普通でした。

どこをどうひっくり返しても「文学」ではないと思うのですが。。。

噂では博士(雑用)とか博士(再婚)なんて先輩もいるらしいので、それよりはまあ・・・

入院以来、毎年何らかの重要イベントが起きて、ひとつひとつやっているうちに、というか西へ東へと出かけているうちに、あっという間に終わってしまった気がします。

というか、実際在学年数が足りないとかで、昨年末は大騒ぎをしていたような記憶もあります。

昨年度だけは心静かに過ごしたかったのですが、まさかアフリカまで行くことになって、帰ってきたら退院ということで、今年度こそ隠居生活に入ることを目論んでおります。

手始めにロンハーを見ながら講義準備をしているのですが、心の底から喜びが湧いてきます。

しかし、この隠居生活も明日の朝までで、明日からは色々と事情が重なって、これまで以上に西は吉祥寺、東はテクノパーク桜と、毎週行ったり来たりしなければなりません。

嗚呼、どこでもドアとタイムマシンが欲しい・・・・

Paris 26 Gigapixels

というわけで、2346枚の写真をつなげて1枚にしたパリの写真だそうです。

 http://www.paris-26-gigapixels.com/index-en.html

グーグル・アースとは、一味違った綺麗さです。

いかにもローテクな感じが、素晴らしいです。

ちょっといじって頂ければ分かるように、恐ろしい解像度です。

モンパルナス・タワーから撮ったようで、最南がサンシュルピス教会がぎりぎり写っていないというのが少し残念です。

それにしても、2000枚もどうやって写真撮るのでしょうか。

場所ごとに天気違ったらまずいし、一日で撮ったのではないでしょうか。

一番遠くのサクレクール寺院の前の階段は、いつもごった返しているのに、この写真ではかなり空いているし、東から西へと影が伸びている部分が多いので、朝のうちに一気に撮ったのでしょうか。

東京でも、誰かやってもらいたいです。

BGMが雨利じゃなければ、一日中眺めていたいところなのですが・・・・この曲を聴くと何か騙されているような気分になるのは私だけでせうか。

○んこがない・・・・

というわけで、ないんです、はんこが、いや、ありすぎるのかもしれません。

前からこんな小さいものは管理できないと思ってはいましたが、本当に無理です。

存在感として、煙草一本と良い勝負じゃないですか。

そこまで豪快な性格なわけではないですし、パスポートとか財布とかをなくしたり置き忘れたことは一度もありません。

どうやら、私の中では、どうしてもはんこが大事なものリストに入らないようです。

まあ、九州男児の後輩には、他の人は全員がシャチハタを使っているTAの出勤簿に、まさかの象牙の実印を押している侍もいますが、私もそこまでは隼人ではありません。

先週のこと、私がまさに傀儡の代表になっている研究会の口座から年に一回お金を引き出すイベントがやってきました。

で、大変几帳面で優秀な後輩に、「というわけで、はんこもって郵便局いってください。お金落とさないで下さいね」と言われ、パシって参りました。

しかし、あるわけないんです、はんこ。

言い訳すると、留学とかして荷物ぐっちゃぐちゃですし、家2つあるし、銀行にしたって、冗談でなく届け出印なんかもなくしてしまうので、はんこが必要な時は、毎回身分証明書を携帯して、その度に届け出印を変更しているくらいです。

で、その度にはんこ買っているので、逆に言えば、そこら中にはんこが散らばっていて、どれがどれだか分からないんです。

で、ある時、案の定、フランスの口座に送金する関係で窓口で手続きする必要があって、それで、候補と思われるものを4本くらい持って行って、順番に試していた時にふと、「ひょっとして、はんこって俺より偉いの?」と思ったのですが、どうやらそうみたいですね。

本人が免許証と身分証もって来ているのに、はんこがないと何もできないと。

間違いなく、やつは私本人よりも信用されています。

で、郵便局でも案の定、「ったく院生ははんこ一つも管理できねーのかよ?」という大変残念な視線を浴びせられながら、恐ろしく面倒くさい手続きをしてきました。

どうやらはんこを失くす馬鹿というのは想定外のようで、電話でどこかに問い合わせたりしています。

しかも、すいているだろう時間を狙って行ったのに、なんかやたら混んでるし。

別の窓口では、留学生と局員が問答しているし。

で、最終的には別のはんこをあらためて登録して、それを使ってお金を引き出すという手順になったわけですが、途中からは、その新はんこを取り上げられて、向こうで次々と面倒そうな書類に押してくれました。

ただただ、恐縮して平謝りになりながらそれを見ていて、なんとかお金を引き出せたのですが、それにしても、なんだかな〜というところでしょうか。

登録してある住所・氏名が一致している免許証に学生証に保険証に実際あまり役に立たないという噂のJAFのカードまで持っているのに、なぜ、アイデンティファイしてくれないでしょうか。

面白いのは、その後数時間して郵便局から電話がかかって来て、「新しいはんこを登録するにあたって、一か所押すのを忘れていた。もう5時すぎてるから、明日以降、来い」とのことでした。

しかし、その時私はすでに東京にいて、しばらく戻る予定もなかったので、ダメ元で「はんこを預けてある別の人でもいいのか?」とお伺いしたところ、「まったく問題ない」ということでした。

で、先述の大変几帳面で優秀な後輩が代わりに行ってくれて問題は解決したのですが、絶対に私よりもはんこが偉いですよね。

私がいなくてもはんこがあれば良いって、なんだか傷つくぜ・・・・はんこが目当てだったなんて。

で、この忌々しい文化の起源は、案の定、明治時代のようです。

1873年の太政官布告で「証書の類に爪印・花押などを用いる事を禁じ、実印のない証書は法律上、証拠にならない」と定められて、あらかじめ庄屋などに印鑑を届け出なければならなくなったそうです。

20世紀の院生ならば、「以上みてきたように、印鑑とは各個人の主体性を前提に作られるものであり、その意味で、近代的個人の確立を必要とする国民国家の形成に寄与したと考えられるわけである」みたいな論文すらかけるのだと思います(というか、どっかにあるんだろうな)。

逆に言えば、私のような反近代の中世人には、まあ、向かないわけですね。。。。

でも、お金引き出すたびにこんなの書いたら、間違いなくかっこ良いですよね。

この中ので言うと、三好政康のが可愛いですね。

竹中反米のは、なんか面倒くさそうです。

加藤清正のは、どことなく底辺校の匂いがしますね。

こっちにある徳川光圀のものも、死んだクリオネみたいで素敵ですね。