二つのフランス

「2つのフランス」というのは、大革命以後のフランスの社会・政治状況の対立軸のありかを示す言葉です。

つまり、カトリックを主張する「教権派」とライシテ(公共空間の非宗教性)を主張する「共和派」です。
この2つの勢力がガチガチやりながら、近代フランスの歴史は回ってきたと言えるのではないでしょうか。

もちろん、世俗化して政教分離が設定された社会では、後者の共和派の方が強いだろうと思われるかも知れません。

でも、やっぱり民衆的な世界観というか、社会的身体といったところには、カトリック性の刷り込みのようなものがあって、例えばミッテランの「国葬」がノートルダム寺院で行われたり、先般ローマ教皇が亡くなったときにも、公共施設に半旗が掲げられました(当然、ガチガチの反カトな人からは批判・非難が出ましたが、「共和国の伝統」とか言ってごまかしていました・・・・)。

ところで、以上のような2つのフランスは、日本では、良くも悪くも、一つのフランスに収斂してしまうのではないでしょうか。
極端に言えば、「おふらんす」です。
  

ふらんすへ行きたしと思えども
  ふらんすはあまりに遠し

みたいな朔太郎的フランスです。

大学院に入って私が学んだ数少ないことの一つが、アフリカとかインドとか東南アジアなんかの研究者を怒らせるには、「彼の地の人々は、貧しくっても、なんか目に力がありますね、輝いていますね」なんて、したり顔で言ってみることです。
そうすれば、かの地の人々がどれくらいに近代化を望んでいるのかを説いて下さいます。

同様に、(どちらかといえば若い)フランス研究者を怒らせるには、「おふらんす」のイメージに基づいて、フランスを語ることです。
「やっぱフランス文化の基層はリラダンの『未来のイブ』に描き尽くされていますね。あとはユインスマンスとセリーヌでも読んでおけば、だいたい過激なところはおさえられますね・・・」なんて言えば、小一時間は何らかの説教が聞けるはず。

たぶん現代フランスを考える上ではずせないのは、もうヴォルテールなんかじゃなくて、やっぱりイスラム系移民とその子女たちの存在だと思います。

元からのフランス/イスラム系移民という形で現代フランスは構造化されているように思われます(別にこの両者に本質的差異があって、フォルト・ラインをはさんで対峙している、なんて言うつもりはありません)。

で、その結果、白水社の「ふらんす」なんて月刊誌をパラパラ見ていても、誌面は軽いアノミーに陥っていて、大変楽しいわけです。

表紙なんかは、だいたいはキッチュな写真が使われていて、一発目の軽いエッセイなんかは嶽本野ばら下妻物語の原作者ですね)なんかが、
  

フランスには一度しか行ったことがありません。
  十代からバタイユやジュネに傾倒し、澁澤龍彦生田耕作を師と仰ぎ・・
  (8月号、「私とフランス」)

なんて文章を書いています(でも、結局彼は、自分が行きたいのは、現代のパリではなくて、「ロココな巴里」なんだと結論していて、作家の直感で、「巴里とパリ」の違い、つまりは「ふらんすとフランス」の違いを把握しています。さすが天才。まあ、「巴里」はそもそも誰かの頭の中にしかなかったのだ、とも言えますが・・・・)。

まあ、だいたいのところは、「パリ・カルチエぶらぶら歩き」とか「フランスの小さな村めぐり」みたいな、おふらんすのイメージです。

でも、最新の美術や映画のレビューになると、イスラム系の人々の動向に言及しないでは、何も語れない状況です。

たとえばブリュノ・デュモンの紹介では、彼が第二次大戦でフランス軍として闘ったアルジェリア人の映画「ヒューマニティ」を言及しないわけにはいきません。
ジェラール・ドパルデューだけが映画ではないんです。

音楽だって、スター・アカデミーだけじゃなくて、ライと融合した郊外の兄貴たちのラップに言及しなければなりません。

極端に言えば、旧来のフランスvsイスラム系のフランスみたいなフォーマットで考えるべき状況があるのではないでしょうか。

こういうのって、わりと当然視されている一方で、フランス研究関係のMLなんかを見ていても、やっぱり研究分野なんかの違いに由来する、根本的なフランス観の対立とか齟齬みたいのがあって、言葉は悪いですが、まあ、面白いんですよね・・・・

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